神経行動解析研究 トピックス

 

本ブログは,WEBサイト 神経行動解析リンクス (Neurobehavioral Links)

https://sites.google.com/view/behavior100/

の内容に基づいています。

 

神経行動解析学を学んだシカゴ大学

話題を糸口としたメモランダム

 

The University of Chicago: ドーパミン神経行動解析研究の著者の基盤は,留学先のこの大学の研究室  (Department of Pharmacology & Physiological Sciences AND Department of Psychiatry at Pritzker School of Medicine in the University of Chicago) で構築させてもらった(著者撮影)。

 

伝統あるレンガ作りの校舎建物には,蔦(つた:ivy)が生えている。しかし,この大学は ivy league には所属していない。同 league は,米国北東部にある Brown, Columbia, Cornell, Dartmouth, Harvard, Pennsylvania, Princeton, Yale の 8 大学で構成するカレッジスポーツ連盟の名称として知られている。

 

しかしながら,The University of Chicago は,世界的な高等教育評価機関 QS (Quacquarelli Symonds) の優秀大学ランキングで,MIT, Cambridge, Stanford, Oxford, Harvard などと同様に,常に10位以内に入っていた。ちなみに,アジアでは中国やシンガポールなどの大学もどんどん力をつけてきており,これらの大学は,いずれ 10位以内に食い込んでくると思う。実際,2024年版の QS ランキングでは,National University of Shingpole が 8位となった。そのほかには,The University of California, Berkley が,あらたに 10位となり,そのために  The University of Chicago は 11位となった。

 

上記の評価は,大学の役割について多面的側面から総合的に毎年実施している。その評価基準は,学術関係者からの評判(評価の中で占める割合:40%),雇用者からの評判(同:10%),教員1人当たりの論文被引用数(同:20%),学生1人当たりの教員比率(同:20%),外国人教員比率(同:5%)などであった。2024年版からは,新たに Sustainability (組織の持続可能性),雇用成果,国際研究ネットワークという指標が導入追加された。 QSランキングは,このように多面的基準によるため,その時々の各大学の順位は固定したものではなく,毎年激しく入れ替わっている。トップ好きの日本人は,何故か  Harvard 大学が大好きである。しかし,同大学が,QS指標でトップというわけでもない。

 

自分が大学を選ぶときなどに,このような基準は参考になるかもしれない。しかし,このような一般的基準の大学ランクへの極度なこだわりは,無意味と思う。大学入学の段階などでは,それぞれの大学の特徴を調べ,それらのうちのどれが,自分の能力と興味に合い,自身の可能性を伸ばせるかということこそが重要であろう。レッテルやラベルを自身に貼り付けるために利用しても,当座の自己満足はあっても,自身の将来の発展につながるとは限らない。なお,様々な価値基準は,それが世間で,認知され,重視され,権威を持ち始めた瞬間から,その基準は,仮想空間の中で一人歩きし,価値を失い始めると考えている。

 

わが国の大学にも眼を向けてみよう。良い大学に入学するには,合格難易度が高くなるのはどこでも同じである。しかし,入学試験偏差値ベースの難易度に焦点を置き,これを固定的かつ過剰に評価し続ける社会風土にあっては,国際的にみた優れた大学評価ランクの上昇はたやすくはないかもしれない。もっとも,このような評価は,さすがに見直されつつあり,また,そうしなければ世界から置き去りにされてしまう。また,大学に巨額な国の資金を投入するだけでも進展はみられない。そこには,教育と研究システムの改革とそれによる個人の行動変容をどれだけ実現できるかという課題が存在する。ここでの個人の行動変容は受験教育のみで培われるものではなく,自身の興味をとことん追求開発し,ゴールに向けた強い実践力によると考えている。米国では,他人の批判をものともせず,自分の研究遂行に信念を持ち,問題を徹底的に掘り下げてゆく研究者を多数みてきた。潤沢な資金を投入した立派なお膳立てを作って,どうぞここで研究を好きなようにおやりくださいという環境を単に実現してみても,優れた研究は出てこないと思う。大学や研究機関においては,重要な研究課題を探り当て,研究の計画立案,研究の進め方,信頼性のあるデータの記録とその保管,そして最後に論文としてまとめ切る技術の徹底した教育が必要であろう。自力でそれを習得できるなら,それに越したことはない。しかし,日本人の研究者の国際誌での論文の勢いが衰えてきているという批判については,以上の点を十分に考える必要があろう。もちろん,大学にはいくつかの役割と機能があり,研究さえよければというものでもない。教育が充実しており,多くの有用な人材を社会に輩出することも重要であろう。

 

それゆえに,大学の評価には,やはり多面的な基準が必要と思う。わが国の大学評価についての入学試験合格偏差値重視の流れは,受験者を取り込むために激しい競争をしている予備校ビジネスの戦略にリンクした構造もあると考えている。YoutubeSNS で, ”学歴厨” などで表現される学歴偏重主義を過剰に煽る多数の投稿をみていると,それを感じる。しかし,それ以前に,周囲を海に囲まれた歴史ある単一民族の日本人の心の中には,すべてを一次元の価値尺度に当てはめて,ものごとに順位をつけないと気が済まない性癖が存在しているようにも思う。そこには,現実世界の価値は多次元尺度上にあることが忘れ去られている。米国社会などでは,宗教も文化も社会的価値観もまったく異なる背景をもった人々が,英語という共通語で辛うじてつながっており,一次元の価値尺度成立は,日本ほど有効ではないと考えている。

 

ただし,入学時偏差値そのものが一次元とは言っても,そこには数種類の教科に関する多面的な能力と尋常ならざる努力の成果が結実された場合がある。この場合,この値が高いことには,潜在能力としての大きな価値が存在していると思う。その能力を与えられた人材には,権威主義から解き離れた広い視野をもって,研究,教育,医療,ビジネス,行政,司法などの分野で十二分にその力を発揮し,社会的に大きな貢献をし続けてもらいたいと願っている。

 

よい日本酒とは,長い時間をかけてじっくりと造り上げた結果としての酒そのものの味わいと品質である。酒造りの入口の素材選定段階で,どれほど高いハードルを設け,希少性の高い高級な米を材料として選別し,使用したかについて,いつまでも強調し,誇示し続けてみてもはじまらない。もちろん,よい酒造りには,それに適した素材としてのよい米が重要なことは言を俟たない。また,なにがよい酒であるかをきっちりと識別できるひとびとの存在と,それを判定する明確な基準の存在が重要である。

 

ところで,日本酒は,国外にも随分と愛好者が増えてはいるが,世界規模で見るとまだまだローカル的存在と思う。その点,ウイスキーやワインなどは,歴史と伝統の中で醸成され,愛好者は世界に多数存在している。また,酒をのまなくても,楽しく充実した世界はいくらでも存在する。ここでは,世界には様々な価値観が存在し,われわれは多次元尺度の価値世界に生きていることを述べたいだけである。一方,このような価値尺度などからは,ときはなたれた世界や,そのようなものとは最初から無縁の世界も,この世には多く存在していることも事実であろう。

神経行動解析研究

 

 

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1. 神経行動解析

1.1. 本サイト趣旨

本サイトの内容は,神経機能の発現としての行動について,マクロ(巨視的/鳥瞰的)視点からの解析研究です。ここでは,行動という生体の統合的機能を客観的,定量的に計測し,解析する方法論の重要性を基本とします。このような研究視点の広がりが,環 (Link) となり,やがてネットワーク (Links) を形成することを願って,「神経行動解析リンクス」というサイトをたちあげました。

 

上記視点において,実験動物を用いた神経精神疾患に関する基礎的研究と,その応用分野となる前臨床医学研究を対象範囲としています。基礎的研究としては,疾患の症候発現とその測定,症候発現に至るメカニズム解明,それに基づいた治療法開発などが挙げられます。

 

臨床医学研究においては,医薬品,細胞などの治療効果あるいは安全性について,実験動物レベルでの方法開発とそれによるデータ取得が挙げられます。ここでは,ヒトの疾患に関する臨床場面をゴールとしたデータの信頼性について,法的にも担保しうる Good Laboratory Practice (GLP) 基準に基づいた,あるいはその精神を尊重した研究遂行の重要性を考えています。

 

2. 神経行動解析研究

 

2.1.  神経行動解析研究の視点

人は生まれると,まずは泣き,乳を吸い,眠り,刺激に反応し,笑い,やがて音声を発し,それが言葉となり,親兄弟家族と交流し,おもちゃで遊び,さらには家族から社会へと多様な行動レパートリーを広げてゆく。この流れから,行動は内部感覚刺激への反応に始まり,やがて外部感覚刺激への反応を包括してゆくことがわかる。このような反応の基盤には,生体に本来的に備わっている生理学的反射(反応)と行動学的な自発反応(行動)がある。さらには,この両者を土台として,前者は条件反射(反応)となり,後者はオペラント条件反応(行動)という学習行動が成立し,これらが複雑に絡み合い統合されてゆく。いずれも,まずは人体の形態的特性に規定され,その制約条件の中で,生理的機能,生化学的機能,分子生物学的機能,遺伝子要因などの生物学的基盤に規定されている。

 

ここで主題とする行動的側面は,人の一生を通して最も統合的な生体機能である。また,それは,生体の多様な生理学的プロセスなどを含めた最終的アウトプットといえる。健全な行動の背後には,脳と神経系が正常にはたらくことが前提となる。実際には,これらが常に正常とは限らず,様々な神経精神疾患が存在している。また,疾患と診断されなくとも,われわれの脳は極めて脆弱であり,その行動が,常に高い Quality of Life (QOL) あるいは Well Being (WB) を維持し続けられるとは限らない。それゆえ,神経精神疾患の診断と治療法確立にも,また高い QOL あるいは WB 維持のためにも,行動の科学的理解と自身の適切な行動制御が,われわれの人生にとって,最重要課題のひとつとなっている。

 

以上の背景を踏まえた行動理解とその背後にある脳の神経機序解明は,神経科学 ( Neuroscience ) のテーマであり,そのうちのひとつに神経行動解析研究の視点が存在する。なお,経済学において,Micro Economy と Macro Economy の分類があるように,神経科学にも,ニューロンや細胞活動,分子生物学的事象,遺伝子解析などを主題とする Micro Neuroscience と,生体の統合的なシステムとしての行動を研究対象とする Macro Neuroscience の視点があると考えている。本WEBサイトでは,主として後者である Macro Neuroscience 視点での神経行動解析研究について,自由に記載してゆくこととした。

 

2.2. 行動に始まり,行動に終わる

われわれにとっての最大の関心事は,自身の身近な行動であり,他人の行動であろう。たとえ,眼を遠い宇宙のはて,あるいは遠い過去の歴史にむけているつもりであっても,関心事は,やはり人の行動であることを否定できないと思う。さらに,社会も,経済も,政治も,宗教でさえも,そして歴史も,結局は人々の行動の集積の結果であり,それゆえに,これらは,すべてわれわれの関心事とならざるを得ない。

 

もちろん,物理的環境としての世界は,広大無限であり,われわれの認識の範囲をはるかに超えた世界が厳然と存在している。しかし,これのうちのごく限られた微細な部分のみが人間に直接かかわりを持ち,人間行動を規定してゆく。この限局された環境での人間の適応行動あるいは不適応行動の結果が,人間生活,社会,文化,文明,歴史をかたちづくってきたといえる。このような背景を前提とし,世界を人間中心のひとつの微小世界(ミクロコスモス)ととらえれば,この世界のすべては,人間の行動に始まり,行動がゴールとなり,結局はその行動に終わるという視点も想定できると考えている。

 

自身の行動については,四肢体幹の動き,歩行,運動,言語,思考,ゴールに向けた遂行行動などがある。このような行動の際の自覚的,内省的感覚も行動に深く関わる要因といえる。これらの行動の流れのうち,自身で客観的に把握できる側面はほんの一部であり,残りの大部分は,自身の自覚や意識を超えた大きな広がりのなかに存在する。これらいずれの側面においても,身体的構造としての脳の役割は大きく,それ以外には,各種の身体器官や組織が関わっている。そこには形態学的生理学的事象,生化学的事象,細胞学的事象,分子生物学的事象,遺伝子レベルの事象などが細密かつ複雑に絡み合っている。これらの事象は,研究する側が,その研究の進展とともに,研究対象を便宜的に区分したものである。しかし,生体それ自身は,そのような区分とは関わりなく,ひとつの統合的システムとして存在している。このような生体機能の大きなストリームの中で,われわれにはっきりみえている部分としての行動が存在する。この意味において,先にも述べたとおり,行動に始まり,行動がゴールとなり,行動に終わるという視点を想定できると考えて,永年にわたり,神経行動解析研究を実施してきた。

 

2.3.  神経行動解析からみた前臨床医学研究

著者は,大学では心理学を専攻した。大学院課程修了後は,薬物依存の世界的研究者であった柳田知司博士 (1930-2016) から,薬物依存学,薬理学,精神薬理学などのみならず,研究の進め方,論文の書き方などに関する丁寧な指導を受けた。その後も,多くのすぐれた指導者,仲間に恵まれて,神経行動解析研究と前臨床医学研究などを永年にわたり継続できた。

 

研究の内容としては,神経行動解析の視点に立って,神経精神疾患に関する前臨床医学研究を実施することであった。この基礎研究において,実験動物としては,マウス,ラット,コモンマーモセット,カニクイザルザル,アカゲザルを利用した。個別の研究においては,それぞれの実験動物の特性をフル活用することに心がけた。これは,個々の研究目的からみて,それぞれの実験動物の長所と短所を踏まえることであり,特定実験動物に固着して,無理に研究を継続しないようにした。今にして思えば,これは通常では容易なことではなく,実験動物開発を目的とした研究機関に在籍したために可能だった面もあると考えている。

 

また,実験動物を用いた基礎研究の実施については,次の二つの点を念頭においた。第一は,臨床場面において,患者と医師の遭遇している現実であり,第二は,疾患治療薬開発を実施している製薬企業が遭遇している現実についてであった。それぞれについては,自分のわかる範囲内で,研究実施の重要なフィードバックとした。前臨床医学に関する基礎研究では,上記二つの視点からの厳しい眼差しを意識することなしには,研究を継続的に実施することはできないと考えてきた。

 

2.4.  神経行動解析からみた神経精神疾患

多くの神経精神疾患の治療の場合には,まずは行動の変異としての症候に関する診断からスタートする。症候  (Syndrome) には,症状  (symptom)  と徴候  (sign)  が含まれる。症状は,患者が医師に訴える頭痛,吐き気などの患者自身の自覚的な訴えに基づく側面であり,自覚「症状」といわれる。一方,徴候は,症状とは別に,医師が他覚的客観的に患者を診察した結果みとめられる患者の体調や行動変異などである。いずれも,臨床場面での診断において,また神経行動解析学的研究においても,極めて重要なスタート側面ととらえてきた。

 

神経精神疾患の治療場面において,症候に関する診断が確定すると心理療法や投薬などの治療が開始される。そこで,患者の行動上の寛解の程度あるいは症候の軽減が治療のとりあえずのゴールとなろう。例えば,神経疾患であるパーキンソン病の場合には,患者自身あるいは家族が,その運動機能の変異とそれに基づく日常生活での不便に気付き,医師の診断をあおぎ,診断が確定すると投薬などの治療が開始される。この意味において,治療は,行動に始まり,行動がゴールとなるといえよう。

 

2.5.  すべてが行動に始まり,行動に終わるのだろうか?

上記に,治療は,「行動に始まり,行動に終わる」例について述べたが,すべてがそうであろうか? 例えば,パーキンソン病を例にとると,症候をベースに,そう診断された場合にも,それ以前に既に,患者の大脳基底核黒質-線条体ドーパミン神経に変性あるいは脱落が進行しており,これは,Positron Emission Tomography (PET) や Single Photon Emission Tomography (SPECT) などの脳画像解析により,早い段階で診断がつく場合がある。また,家族性パーキンソン病の場合には,α-synuclein, parkin, LRRK2 などの遺伝子変異に基づいて発症することが知られており,遺伝子検査により発症の可能性についての予知はできるであろう。さらに,別の神経変性疾患ハンチントン病の場合には,第4染色体上に局在している遺伝子の変異が原因で発症することが知られている。すなわち,遺伝子 huntingtin がタンパク質をミスコードして,一定の年齢になると神経障害などを発症する可能性が知られている。また,これらの例を示すまでもなく,脳神経外科領域の脳血管性疾患や脳腫瘍などについては,人間ドックなどの脳画像検査により,患者の自覚症状なしに疾患がみつかる場合はいくらでもあろう。以上を踏まえると,当然ながら,神経精神疾患も,身体疾患同様に,すべてが行動に始まり行動に終わるわけではないという指摘があって当然である。

 

神経精神疾患の診断,治療,機序解明のためには,他の身体疾患同様に,遺伝子レベル,分子生物学的事象,細胞学的事象,生化学的事象,形態学的/生理学的/病理学的事象などに関する研究が重要であり,実際これまでもそのような流れの中で神経精神疾患に関する基礎研究は進められてきた。しかし,本WEBサイトでは,生体の統合されたシステムとしての行動そのものについて,客観的にして定量的な精密測定法を駆使する重要性についても強調したいだけである。

 

以上を踏まえて,実験動物を用いた in vivo レベルの前臨床医学研究においては,神経精神疾患の症候の特定側面に,まずは的確な焦点をあててみた。そこで,その焦点について客観的かつ定量的に測定するスタイルで,これまで研究を進めてきた。今にして思うと,このような研究スタイルは,大学での計量心理学と実験行動分析学(注1参照) の教育のお陰と考えている。以後は,これをベースとして,いくつかの研究機関において,少しずつ視野を広げる機会が与えられた。結果的には,そこから各種実験動物を用いた神経精神疾患の基礎研究と前臨床医学研究に専門を広げることができた。

注1)実験行動分析学 (The Experimental Analysis of Behavior) : 本サイト参照 

 

参照 WEB サイト

sites.google.com

 

 

追記:「細胞に始まり,細胞に終わる」世界にも触れて

 行動科学をベースとした研究を永年継続していると,すべては行動に始まり行動に終わるという視点に到達してしまう。しかし,一方で,そのような固定観念から解き離れたいと思い,病理学も独学で勉強した。もともとの心理学専攻者にとっては,生理学を学ぶことも重要と考えてきたが,むしろ病理学を学ぶ方が,門外漢にとって知識を吸収しやすい面があると感じた。その理由は,生理学では,ノーマルな状態を前提とした身体のシステムをひたすら学習するが,病理学では,壊れた身体のシステムを学習することによって,ノーマルなシステムも同時に学べるという2面性が存在し,これは学習しやすい要因と感じた。もちろん,生理学についても病理学についても,どのレベルの勉強をするかということがあり,著者の場合には,ごく初歩的レベルでの話となる。

 

以上については,著者の過去の経験として,行動科学を薬物効果との関連で学んだ行動薬理学の学習にも類似していた。薬物によって変容した行動から,薬物作用と同時に,本来の行動そのものについての2側面について同時に学べるという事実があった。

 

以上から,病理学を学ぶと,すべては細胞(の異常)に始まり,細胞に終わるという視点も出てくる世界の存在を知った。ただし,それは主として身体疾患の解明されている部分についてであり,神経精神疾患のうち,とくに精神疾患,たとえば統合失調症などでは,細胞レベルでの確定がなされていないものも,いまだ存在している。このようなところには,やはり「行動に始まり,行動に終わる」という視点の入り込む余地が,少なくとも現時点では存在すると感じている。なお,大学医学部で,病理学に関する正規の教育を受けて,医療に携わっている医師にとっては,細胞に始まり,細胞に終わるという文言は,本末転倒と感じるであろう。

 

上記の基本的な思考の流れをベースにして,これまで著者が実施してきた研究などについて,その内容で本サイトを構成した。

 

 

ヒト疾患モデル動物 ― モデル作成とテスト測定実施 についての枠組み ―

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ヒト疾患モデル動物

- モデル作成とテスト測定実施

についての枠組み -

 

1.  神経精神疾患モデル動物

 

標記テーマは,薬理学会や神経精神薬理学会などのシンポジウム課題として幾度となく取り挙げられてきた。これら学会において,実験動物を用いた研究には,臨床医療とのリンクが前提とされている。それゆえ,動物モデルを用いて産み出された測定データは,臨床視点からの妥当性と有用性についての厳しい眼差しにさらされる。

 

著者は,永年にわたり,マウス,ラット,マーモセット,カニクイザル,アカゲザルを利用して,様々な神経精神疾患モデルを作成し,研究を進めてきた。これらの中には,多くのリソースを費やしながらも,単なる試行錯誤的内容となり,意義の薄いものがあったのも事実である。しかし,一方で有用性が極めて高い研究も存在していたことを想い起こすことができる。すなわち,マーモセット への 神経毒,1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine (MPTP) 処置 パーキンソン病モデルに関する前臨床医学研究と,もう一つはアカゲザルの薬物静脈内自己投与法による薬物依存研究は,実験動物モデルとしての妥当性と有用性が極めて高い事例として挙げることができる。この二つの例は,実験動物を用いたモデルとは何かを考える上で,とても参考になる。そこで,これらの事例も踏まえて,今後の研究発展の参考となるような動物モデルの骨格を示したいと考えた。動物モデル作成については,その内容が整理され,より妥当性が高く,有用なモデルによる研究が発展することを願っている。

 

なお,上記のシンポジウムなどでは,モデルの作成について強調されることがあったように記憶している。しかし,モデル作成のみならず,それを利用した適切なテスト測定法を選択/実施することも重要と考える。この2側面はワンセットであるが,それぞれ個別の問題が存在していると同時に,両側面を統合した上での問題点も明確に把握しておきたい。表1には,動物モデルの内容を3項目に分けて記載した。

 

表1. 神経精神疾患の動物モデルの作成とそれを用いた測定実施に関する枠組み。ここには,まずは研究の目的と範囲を明確化することの重要性,作成されたモデルの妥当性についての把握,そのモデルを利用したテスト測定実施上の基準について示した。また,いずれのモデルと測定法にも,効用と限界があり,これをきっちり把握することの重要性についても強調しておきたい。

 

 

2.  神経精神疾患・動物モデル作成と

テスト測定実施の目的と範囲

 

疾患モデル動物を作成する場合の研究スター時点において,まずは疾患基礎研究なのか応用研究なのかについての区分を明確にすることが重要となる。その理由は,両者のそれぞれには,研究のゴールと力点の置き方に違いがあるからである。すなわち基礎研究については,徹底的に分析力を駆使し,病態の本質を掘り下げてゆくことが重要であろう。

 

一方,応用研究では,薬物投与,細胞移植,遺伝子操作,外科手術などの前臨床医学レベルでの有効性効果判定がゴールとなる。ここでは,すでに妥当性などが確立した動物モデルを用いて,効果の有無が明確になる測定法を用いることが重要となる。実験実施後の結論としては,1) 動物レベルでは効果がみられた,2) 動物レベルでは効果がみられなかった,3) 今回の実験条件では,はっきりせず,その理由はこれこれであった,のいずれかについて明確に言い切れることが重要である。

 

3.  疾患・動物モデルの病態に関する妥当性

 

次に,研究目的に照らして,どのような病態をターゲットにするかにより,利用モデルの疾患症候,疾患病理あるいは疾患病因のいずれかとの類似性が前提とされる。それを踏まえて,そのモデルの効用と限界を把握しておくことが重要となろう。

 

例として,神経毒 MPTP をサル類の皮下などの末梢に投与したパーキンソン病モデルを挙げてみよう。このモデルでは,持続的な各種運動機能障害などが,ヒトのパーキンソン病の症候に極めて類似している。また,この神経毒の作用部位が,黒質ドーパミン神経にあり,そこでの神経破壊を発現する点でも当該疾患に類似している。すなわち,このモデルには,疾患症候と疾患病理との類似性があるといえる。疾患病因については,ある種化学物質の長期暴露によるパーキンソン病様疾患のモデルとはなりうるかもしれない。しかし,本態性パーキンソン病の病因との類似性について, MPTP投与の場合は限定的となる。パーキンソン病の病因を探るには,家族生パーキンソン病で知られているいくつかの遺伝子をマウスあるいはマーモセットに導入したモデルの確立などが挙げられよう。

 

参照 WEB サイト

sites.google.com

 

参考文献: 安東潔 (2018) 神経毒MPTP 投与によるコモンマーモセットのパーキンソン病モデル – 行動解析による前臨床評価を中心として –. オベリスク Vol. 23,1:14-22.          https://researchmap.jp/read0179769/published_papers/19447809

 

 

パーキンソン病のような運動機能障害に関する疾患は,ヒトとサル類で多くの共通性が存在するケースであり,それ故にモデルには高い妥当性がみられた。しかし,ヒト固有の高次脳機能に関わる疾患の動物モデルの作成は,極めて困難となる。たとえば,統合失調症について考えてみよう。この疾患の中核症状は,幻覚妄想とされている。これを動物モデルに再現することも,また仮に動物モデルで作成したとしても,幻覚妄想をどう検出するかについては,極めて困難な課題が存在する。ここでは,Methamphetamine などの覚醒剤反復投与による動物モデルなどが存在し,行動科学的,分子生物学的検索などが行われている。しかし,症候,病態生理の点でも,統合失調症との距離は大きいといわざるを得ない。現実には,モデルと疾患との間に類似しているほんの僅かな側面を取っ掛かりとして,研究を進めざるを得ない状況も,一応は理解はできる。

 

また,ヒト統合失調症患者に固有と考えらるいくつかの遺伝子を導入したマウス遺伝子改変モデルの行動特性を野生型と比較する研究もある。日夜,統合失調症の患者と向き合い,その治療に苦労されている医師も,実験動物による生物学的研究の重要性については深く理解されている。しかし,マウスなどのモデルを統合失調症モデルと呼ぶことに違和感を持たれるという精神科医のお話をうかがったことがある。さらに,統合失調症の病態や病因解明のための,マウスの遺伝子改変研究は重要かもしれない。しかし,疾患との大きな距離と限界については十分な把握が必要とされている。統合失調症に関わる可能性があるとされている遺伝子をマウスに導入しただけで,これを統合失調症モデルと呼ぶことは適切ではないと考えている。せめて,統合失調症遺伝子導入モデルと呼んで欲しい。

 

4.  疾患・動物モデルを用いた

テスト測定の基準

 

作成した疾患モデル動物を用いて,疾患のどのような側面を測定するかは,極めて重要なポイントとなる。せっかく妥当性の高い疾患モデルを作成し,利用しても,測定方法で的を外しては,よい実験結果は得られない。それゆえ,下記のポイントについて,一つずつチェックしておくことが重要と考えている。

 

4.1.  テスト測定指標データの妥当性

疾患妥当性の高いモデルを作成したのだから,測定についても,それに呼応した適切な測定法と指標の設定が必要である。作成されたモデルの表現している症候,病理,病因のいずれかを受けて,それに密接な関連を持つ測定指標の利用によって,研究目的に適った意味あるデータを得たい。

 

サル類のMPTP投与パーキンソン病モデルでは,症候,病理の点で,モデルの特性として,すぐれた疾患妥当性があることはすでに述べた。その上で,自発運動量 (spontaneous motor activity or locomotion) 測定や肉眼的症候観察などの行動解析により,パーキンソン病様固有の運動障害を検出できている。また,このモデル動物の脳に関しても,Positron Emission Tomography (PET) / Magnetic Resonance Imaging (MRI) などの in vivo 測定と Tyrosine hydroxilase (TH) などに関する病理組織学的検索により,ドーパミン神経変性が in vitro 測定でも明確に検出されている。

 

参照 WEB サイト

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4.2.  テスト測定データの客観性/定量

測定指標の客観性は,科学的観察の基本となる。MPTPによるマーモセットのパーキンソン病モデル実験においては,マーモセットの飼育ケージ内の自発運動量をセンサーで感知し,定量化した。これはパーキンソン病様症候の最も重要な一つである 無動 (immobility) の客観的定量的指標として,薬物の治療効果検出においても極めて鋭敏で有用なものとなった。ただし,この研究では,この指標の他に,実験者の肉眼によるマーモセットの症候観察も実施した。ここでは,実験者の主観ができるだけ入り込む余地のない観察項目をくみたてた。すなわち,特定観察項目の有無について,存在したか存在しなかったかのみを,1  あるいは 0 で,観察者が記録した。そこで,いくつかの項目の合計得点を得た (CIEA Dysfunction Score)。これにより,自発運動量の測定のみでは十分ではないマーモセットの症候の全体像も定量的に補完した。

 

4.3.  テスト測定データの信頼性/再現性

測定データの信頼性については,安定したモデルにより,十分な動物数を利用して,得られたデータのばらつきが小さいことが条件となる。ばらつきは,実験で得た標本値のばらつきとしての標準偏差 (Standard Deviation: SD) を使用するのが適切と考えている。標準誤差 (Standard Error of Mean: SEM) も用いられるが,こちらは,標準偏差を使用動物数 (n) の平方根で割った値 ( SD/√n ) であり,ばらつきを少なくみせることができる。しかし,この標準誤差は,母集団における各標本の平均値のばらつきを意味している。つまり同じ条件での実験を,たとえば多くの施設で実施したとして,それぞれの施設での平均値の分布について記載している。その意味では,1施設内での1実験で得られたデータの分布のばらつきは,SEM ではなくSD で表すのが適切と考えている。様々な施設から同じ実験条件で得られた多数の平均値を集めた分布である SEMを利用するのは,少し違うのではないかと考えている。SD か SEM のどちらなのかが定義されていれば,それでよいではないかという考えもあろう。しかし,それぞれのばらつきの正負単位は分布上の確率と理論的にはリンクしいて,SD と SEM では,ばらつきの示す意味が異なると思う。著者は統計学の専門家ではないので,もし違っていればご教示願いたい。

 

また,再現性の方は,同じ研究者が実験を繰り返し実施しても,あるいは他の施設の研究者が同一条件で実験を実施しても,同様の実験結果が得られることを意味している。ある特殊な名人芸的な技量を持つ研究者の研究結果というのでは,再現性の証明が特に必要となろう。

 

4.4.  テスト測定データの臨床予測性/有効性

得られたデータに,客観性/定量生,信頼性/再現性 があっても,そのデータに臨床予測性あるいは臨床上の意味(有効性)がなければ,何のための研究かということになる。MPTP処置サル類パーキンソン病モデルによる前臨床医学薬効評価については,疾患の治療薬としての予測性/有効性が極めて高い。その理由として,MPTP が,黒質線条体ドーパミン神経を破壊することと,サル類とヒトとの間の四肢を含む運動機能に共通性が存在し,それらに変性がみられ,障害された場合には,パーキンソン病の疾患病理と症候の点で極めて類似していることが挙げられる。

 

もう一つの例として,アカゲザルを用いた薬物静脈内自己投与法についても述べる。この方法は,ヒトで依存を形成する薬物(依存性薬物/乱用薬物)に対する極めて鋭敏な予測性を示してきた。さらに,この方法により,ヒトで精神依存性を発現させる薬物のほとんどを,サルもレバー押し行動により自発摂取し,依存の状態にまで持っていけることが証明されている。薬物自己投与法により,薬物による精神依存の行動的側面としての薬物探索行動が実験動物にも形成されることが示された意義は極めて大きい。また,アカゲザルの薬物自己投与法は,ヒトでの新規化合物の依存性の有無を予測できるすぐれた方法ともいえる。

 

参照 本WEB サイト

sites.google.com

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4.5.  病態に関するマクロ/ミクロ視点のバランス配慮のテスト測定実施

薬物依存における精神依存を研究する上で,実験動物の薬物自己投与行動を用いた実験が行われる。これは,薬物依存に関する薬物探索行動としての行動的症候をマクロレベルでとらえたものといえる。この時の脳内の薬物依存による機序変化は,分子生物学的レベルで詳細に解明し得るであろう。しかし,これまでみかけた研究には,依存性薬物について,実際の薬物自己投与実験とはかけ離れた薬物用量を実験動物に強制反復投与して,その脳内の詳細な分子生物学的解析結果を薬物依存と結びつけたものをみかけた。依存性薬物には,その薬物の一般薬理作用とは別に,依存を引き起こす作用が存在していると思う。両者を混ぜこぜにしたミクロレベルの解析では,マクロレベルである薬物依存の本質と解離する場合があると思う。ここでは,薬物探索行動の条件を念頭において,一般薬理作用と薬物依存作用の部分を分離したマクロとミクロの統合的解析が必要と思う。

 

4.6.  モデル作成とテスト測定に関する実行可能性

実験動物を用いてモデルを作成する場合には,現実的に研究室で実現可能でなければならない。神経毒MPTPを用いたパーキンソン病モデルの実験では,MPTP をしっかり管理できる体制を整える必要がある。そうでなければ,実験担当者の安全を確保できない。また,薬物の精神依存性を評価するベストな方法は,アカゲザルの薬物自己投与法であるが,大型のサル類をしっかり管理する体制が施設にあることが前提となる。

 

現在実施されている上記の研究も,最初から全てがそろった状態でスタートしたわけではない。研究の目的とその実施についての強い動機づけに支えられて,1からスタートし,少しずつ整備していったと思う。先の例でいうと,最初は,安全性を考えて,神経毒は MPTP ではなく,脳内投与による 6-hydroxydopamine などからスタートしても良いであろう。また,薬物自己投与実験は,アカゲザルの施設がなければ,ラットやマーモセットなどからスタートをしてもよいと思う。

 

結局,モデル作成とテスト測定実施の実行可能性は,これらを実施することの意義についての研究者の明確な研究課題への認識と強い動機付けと現実的状況(リソース:専門家,人材,施設,時間,研究費など)との折り合いの問題となってくる。

 

薬物依存と行動解析

 

 

 

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本ブログは,WEBサイト 神経行動解析リンクス (Neurobehavioral Links)

https://sites.google.com/view/behavior100/

の内容に基づいています。

 

 

故 柳田知司博士が,薬物依存研究遂行を主たる目的として設立した前臨床医学研究所 (1966-1996) の実験施設におけるアカゲザルとラットの薬物静脈内自己投与行動実験(著者撮影)。このような実験を実施することの動物実験の倫理に関しては,オペラント行動と神経科のページ内「6.4. 動物実験の倫理」  および 薬物依存の概念 のページ内 「 7.7.  薬物依存症と薬物乱用社会の過酷な現実」 をご参照ください。

 

参照 WEB サイト

sites.google.com

 

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1.  薬物依存と行動解析の関連性

上記 WEBサイトの 薬物依存の概念 のページにおいて,薬物依存の本質は精神依存にあり,これはヒトでは薬物に対する激しい渇望で特徴づけられると述べた。そして,この渇望は,強迫的な薬物探索行動 (drug seeking behavior) を引き起こす。一方,実験動物における薬物探索行動は,薬物自己投与法により検索できる。これは,薬物を強化刺激としたオペラント 行動として,主としてサル類と齧歯類などを用いて実施されてきた。これらの実験動物がレバー押し反応をすると,あらかじめ静脈内に植え込まれたカテーテルを通して,薬物が動物の体内に注入される。薬物が静脈内に注入されると,それは直ちに脳内に到達し,薬物効果が,速やかに発現される。このことにより,薬物の強化効果の有無は,極めて鋭敏かつ的確に検出される。

 

薬物が水に溶けない場合には,媒体(溶媒)に懸濁した薬物をカテーテルを介して胃内に注入する自己投与法がある。こちらは,薬物が消化器系から吸収されて脳に到達し,そこで効果を発現するのに,静脈内投与に比べて,少し時間がかかる。しかし,ヒトでは経口的に服用された薬物にも精神依存が形成されるので,動物の薬物胃内自己投与法も有用な精神依存性に関する検索法となる。一方,アルコールは水溶性であり,ヒトにとっても身近な依存性物質である。しかし,実験動物にアルコールを口から飲ませようとしても,味覚やその刺激性のために,通常はうまくいかない。だからといって,アルコールを静脈内投与すると血管への刺激性があり,動物に自己投与行動を形成できない。そこで,アルコールの場合には,実験動物の胃内にカテーテルを留置し,ここから吸収されるアルコールの自己投与行動を観察する。以上により,実験動物を用いた薬物依存研究では,薬物の静脈内あるいは胃内による自己投与行動実験が中心課題のひとつとなる。

 

オペラント 行動,ラットおよびアカゲザルの薬物静脈内自己投与行動,アカゲザルを用いた喫煙自己投与行動については,上記の WEBサイト オペラント行動と神経科 参照。

 

薬物依存研究においては,精神依存とその結果として生起する薬物探索行動が主要なテーマとなる。しかし,薬物依存の様々な側面には,種々の行動的要因が関わっている。その意味においても,各種の行動についての理解は,薬物依存理解の重要な手がかりとなる。ここでは,そのような視点からの行動についての用語解説を試みた。これにより,薬物依存についても,また行動それ自身についても,いっそうの理解が深まることを願った。

 

上記の WEB サイト 薬物依存の概念 参照。

 

行動についての用語解説に先立ち,下記の図には行動(反応)成立の基本構造について示した。まず,生体には生まれながらに2種類の反応が存在する。それらは,特定の外部刺激がなくても生起する自発反応 (emitted response) と特定の外部刺激により生起する誘発反応(反射) (elicited response or reflex) である。これらの反応は,生体が環境に適応する上で,生まれながらに備わった極めて重要な反応である。その生体が,さらにその環境で存続し続けるためには,これらのみでは十分ではなく,上記反応をベースとした学習行動の成立を必要とする。そこで,上記のうち,自発反応をベースにして成立する学習は,オペラント反応(オペラント行動 :operant behavior) という。一方,誘発反応をベースとした学習は,レスポンデント反応(レスポンデント行動 :respondent behavior) という。 生体の行動の大部分は,これら 4種類の反応(自発反応ー> オペラント反応,誘発反応ー> レスポンデント反応)成分から成り立っており,反応をこのような構造として,理解することが行動に関する全体的把握の上で生産的と考えている。それゆえ,以後の行動についての用語の記載には,このような枠組みを前提としたものとなる。

 

上記の WEB サイト オペラント行動と神経科 参照。

 

 

2.  オペラント行動とレスポンデント行動の成立

オペラント行動(反応)は,生得的な自発反応からスタートした学習行動である。一方,レスポンデント行動(反応)は,刺激に誘発された生得的な反応(誘発反応/反射)からスタートした学習行動である。生体の大部分の学習行動は,これらの側面から,分類あるいは分解して,行動の全体像を把握できると考えている。なお,反応や反射は,それぞれレバー押し反応や唾液分泌などのように,一つ一つの個別の反応単位をいう場合に用いられる。一方,行動は,それらの集合体として用いられることがある。しかし,反応と行動の質的内容は,基本的には同じであり,区別なく使用される場合もある。

 

上記の WEBサイト オペラント行動と神経科 参照。

 

 

 

3.  行動の用語解説

 

オペラント行動 (Operant Behavior)

実験動物による薬物探索行動は,静脈内注入された薬物を強化刺激としたレバー押しオペラント行動として形成できる。一方,実験動物が,レバー押しなどにより,餌やジュースを獲得する学習行動については,既に膨大な研究業績が存在している(本WEBサイト オペラント行動と神経科  参照)。Harvard 大学の B. F. Skinner などが,オペラント行動に関する学問と技術を体系化し,実験動物のみではなく,われわれ人間の大部分の日常行動や社会行動も,オペラント行動により成り立っていることを示した。

 

まず,上記に述べたとおり,ヒトおよびその他の動物には,学習以前の生得的な自発反応 (emitted response) の存在が前提となる。乳児がこの世に生まれて最初に示す行動の一つに,母親からのミルク摂取が挙げられる。最初は,乳首などへのおぼつかない接触反応が,だんだんと効率的かつ的確なミルク吸引摂取反応になってゆく。これが最初に確立されたオペラント行動のひとつとなる(レバー押し反応だけがオペラント行動ではない)。これをスタートとして,その後は,生存に必要な水分や食物などの摂取が,学習により形成されてゆく。このことからも明らかなように,まずは,様々な自発反応の生起があって,このうち生存に有効なものの生起頻度が高まってゆくことに,オペラント 行動の原理原則が存在する。これが安定的高頻度に生起するようになり,多様なオペラント行動の学習成立が起こる。ここには,環境刺激に対する様々な自発反応→それらの反応のうち,特定の反応と特定刺激の結びつき→その刺激が生存にとって有効であれば,この刺激獲得反応に学習成立がみられるという図式がある。これを反応の刺激随伴性 (response contingency) といいい,ここにオペラント行動成立の本質がある。ここでは,反応に対する刺激強化という原理が重要である。

 

自発反応とその学習行動であるオペラント行動とは別にもう一つの重要な行動がある。それは,刺激による誘発反応 (elicited response or reflex) であり,これの学習行動としてのレスポンデント行動 (respondent behavior) が存在する。この誘発反応とレスポンデント行動も,生物行動の重要な側面であるが,これについては,下記レスポンデント行動の項を参照されたい。

 

実験動物を用いたオペラント行動の実験的研究のほとんどが,餌やジュースなどを用いたものである。しかし,一方で,動物のレバー押し反応に対して,薬物を静脈内に注入する薬物静脈内自己投与オペラント行動については,薬物依存のうち精神依存を研究する中核的な研究方法となった。すなわち,精神依存を実験動物で検索する上では,薬物自己投与法により,薬物探索行動を観察し,そのことによって薬物の精神依存についての検索が可能である(本WEBサイト オペラント行動と神経科  ならびに 薬物依存の概念  薬物静脈内自己投与行動 参照)。

 

オペラント行動について理解する上で最も適切な教科書の一つとして,下記を挙げておきたい。本書は,プログラム学習により,読み進む構造となっており,一つ一つの知識と概念を確実に学習してから,次のステップに進むようになっている。通常の読書のように,理解してもしなくても,ページを読み進めてゆく場合とはわけが違う。本書を読み終えた後には,爽やかな達成感が残る。半世紀以上前の教科書ではあるが,オペラント行動科学の基本について適切に学ぶことができる。これが遺伝子工学分子生物学,免疫学など最新の医学/生物学の領域においては,古い教科書には歴史的意義は存在しても,正しい知識を吸収するには不十分な場合もあるかと思う。これらの領域では,研究対象をひとつひとつの要素に分解して,とことん分析/解明し続け,これまでの概念が大きくかわることがある。一方,行動科学研究も日進月歩してはいるが,行動という生体の最も高度にして統合された機能の枠組みについての考え方は,それが正しい限りにおいてではあるが,変わることがない。これが,下記の教科書が色褪せない理由と考えている。

Holland, J.G. and Skinner B.F.: The  Analysia of Behavior,  A Program for Self-Instruction. McGraw Hill Book Company, Inc. 1961.

 

また,下記は,オペラント行動に関するバイブルと呼ばれている。全編を読み切るには,少し努力が必要である。85年以上前に,若き Skinner が,Harvard 大学の学位論文として執筆した内容を含めて書籍にした。 

Skinner BF: The Behavior of Organisms: An Experimental Analysis. 1938, Appleton & Century, Reprinted by the B. F. Skinner Foundation in 1991 and 1999.

https://psychology.fas.harvard.edu › people › b-f-skinner

 

強化効果 (Reinforcing Effect)

アカゲザルやラットの静脈内あるいは胃内にあらかじめチューブを留置しておき,動物のレバー押し反応に対して,一定単位用量の薬物を注入する。もし,この動物が,持続的かつ頻回なレバー押し反応により,この薬物を安定的に摂取し続ければ,この薬物には強化効果が存在するといえる。また,この場合のレバー押し反応は,薬物によって強化された行動と定義し,薬物探索に関する学習行動が成立したとする。この過程には,まずは動物のレバーへの偶然的接触,それによる薬物注入,そしてそれが,次のレバー押し行動を強化するか否かという分岐点の存在がある。結果的に,レバー押し反応頻度が増加し,これが安定すれば,ここで薬物探索行動が確立し,薬物の強化効果が示されたとみなす。

 

薬物自己投与行動観察において,まずは生理食塩液などの薬物媒体をレバー押しに対して注入するコントロール条件を設定する。ここでのレバー押し反応数は低レベルであることを確認しておく。薬物による強化効果の有無は,このコントロール値を上回ることが条件となる。

 

強化スケジュール (Schedule of Reinforcement)

アカゲザルあるいはラットを用いた薬物静脈内自己投与行動実験で,最初はこれら動物のレバー押しに対して,一定用量の薬物をレバー押し反応ごとに注入する条件とする。これが基本となる連続強化スケジュール (continuous reinforcement schedule) である。

 

しかし,コカインなどの強化効果の強い薬物では,動物は頻回なレバー押し反応により,その薬物を過剰に摂取し,痙攣などを起こして,実験途中に死亡することがある。これでは困るので,通常は,この連続強化スケジュールからスタートし,一定のレバー押し反応の学習成立を確認した上で,次に間欠強化スケジュール (intermittent schedule of reinforcement) に切り変えて,動物が薬物を過剰摂取することを避けて,動物の薬物自己投与行動を長期間にわたり観察する。

 

間欠強化スケジュール には,強化に必要なレバー押し回数について,一定の比率を設定する比率強化ケジュール (ratio schedule) がある。たとえば,10 回のレバー押しごとに一定用量の薬物を注入するのは,比率強化10 スケジュール (fixed ratio 10 schedule) である。一方,一定の時間間隔を設定する定時間隔強化スケジュール (fixed interval schedule) もある。たとえば,10 分経過後の最初のレバー押し反応に対して,薬物を注入するのは,定時間隔10 分スケジュール (fixed interval 10-min schedule) である。

 

また,これらとは別に,上記のようにスケジュールの値を一定にせず,各レバー押し反応ごとにランダムな値を設定して強化するスケジュルールもある。しかし,この場合もランダム数ながらも一定の平均値を設定する。たとえば,変率 強化10 スケジュール (random or variable ratio 10 schedule) と 変時間間隔強化10 分スケジュール(random or variable interval 10-min schedule) などがある。変率強化10 スケジュールでは,ランダム回数ながらも平均は10 回ごとの強化とない,変時間間隔10分スケジュールでは,ランダム時間ながらも平均は10分ごとの強化となる。

 

正確性はなく,説明のための例としてのみ受け止めていただきたいが,変率強化スケジュールは,一生懸命顧客を訪問して営業をかけ,成約したら,それに応じて報酬が得られる仕組みと似ており,セールスマンスケジュールと言うことができようか。一方,定時間隔強化スケジュールは,サラリーマンが,毎月仕事をこなして月のうち定められ日に,月給を受け取れるサラリーマンスケジュールといえようか。また,変時間隔強化スケジュールは,店舗にお客さんがパラパラと訪れて買い物してくれる場合になぞれることができるであろうか。いずれの場合も,金銭を強化刺激として例を挙げた場合である。なお,金銭は,人間社会では最も一般的な強化刺激のひとつであり,最も強力な般化強化刺激 (generalized reinforcer) といわれる。

 

さらに,累進比率強化スケジュール (progressive ratio schedule) というのは,たとえば最初は fixed ratio 10 scheduleから初めて,これで動物のレバー押しオペラント反応が安定的に成立すれば,次に,その倍の fixed ratio 20 とし,さらに fixed ratio 40 ……… として,比率をどんどん増加させてゆく。動物が最終的にレバー押し反応を止める比率を求めて,これを強化刺激の効果の強さの指標とする。以上につき,言葉を変えれば,このスケジュールでは,各薬物の効果効果の強さを,レバー押し反応の消去抵抗の強さから捉えているといえよう(行動消去については,下記参照)。

 

アカゲザルを用いた薬物静脈内自己投与行動実験では,このスケジュールを用いて,コカイン,モルヒネメタンフェタミン,ニコチンなどが,この順番での強化効果の強さが観察されている。これは,これら薬物のヒトでの精神依存性の強さと対応しているといえる。

 

累進比率スケジュールの最終比率は,その比率での反応数が,あらかじめ定めた一定時間内に次の比率に到達しない場合と定義し,これを最終比率 (final ratio あるいは breaking point) と呼ぶ。この累進比率スケジュールでは,比率の増加の仕方や最終比率条件の決め方などに十分な検討が必要である。

 

強化スケジュールについての古典的書物として,下記を挙げないわけにゆかない。

Ferster, C. B.   and Skinner, B. F. :  Schedules of reinforcement. Appleton Centurt-Crofts,  1957.

 

行動消去 (Behavioral Extinction)

上記の薬物自己投与行動の実験において,レバー押し反応に対して最初に生理食塩液などの薬物媒体を与える条件とする。ここでは,明らかな摂取回数がみられないことを,まず確認する。このレベルをオペラント レベルという。その上で,次にコカインなどの薬液を摂取できるようにする。一定の摂取回数が観察でき,この薬物の強化効果が確認された後に,再びレバー押し反応に対して先の生理食塩液などの媒体を与える条件に戻す。薬物から媒体に切り替えられたこの段階では,最初は burst といわれる高頻度のレバー押し反応数が観察される。しかし,やがてレバー押し反応は,最初の媒体条件と同程度のオペラント レベルになる。このように,薬物の強化効果検索後の媒体摂取時反応の低下について,レバー押し行動に消去がみられたとする。

 

行動に消去がなかなかみられない場合を,消去抵抗が強いという。先の薬物自己投与行動における累進比率強化スケジュールでは,各薬物の消去抵抗の強さを測定している。すなわち,なかなか消去せず,消去抵抗が強い薬物ほど,その薬物に対する探索行動の程度が強いとみなす。さらに,この消去抵抗の強さは,ヒトでいえば薬物に対する脅迫的渇望の行動的表現ととらえることができよう。それゆえ,このような累進比率強化スケジュールの利用によって,動物実験でも薬物に対する脅迫的渇望に相当する激しい薬物探索行動が観察でき,したがって,その薬物の精神依存性が高い妥当性をもって検索できると考えている。薬物依存症の問題点は,薬物探索行動の消去抵抗が強いことにある。

 

累進比率強化スケジュール条件で薬物の強化効果の強さや程度を調べているのに対して,単なる連続強化スケジュール下での薬物自己投与行動では,薬物の強化効果の有無を調べているに過ぎないともいえよう。薬物に強化効果が存在することは,その薬物に精神依存性が存在する一つの条件とはなる。しかし,厳密な意味では,これのみで,薬物の精神依存性の有無は明らかではない。したがって,薬物の精神依存性について,より深く検索するには,連続強化スケジュールや間欠強化スケジュールのみではなく,累進比率スケジュール下での薬物に対する強迫的探索行動まで観察することが理屈の上では重要となろう。

 

刺激弁別 (Stimulus Discrimination)

前述の強化スケジュールのもとでの薬物自己投与行動が安定的に維持された段階で,たとえばランプ点灯中は,反応に対して強化し,ランプ消灯中は反応があっても強化しない条件を設定する。反復訓練により,動物はランプ点灯中には薬物自己投与行動を示し,消灯中にはその行動を示さないようになる。すなわち,ランプ点灯という外部刺激の有無に対応した的確な反応を示す。これを動物の刺激弁別行動という。そして,ランプ点灯の有無が弁別刺激としての役割を担ったとする。ランプのような視覚刺激だけでなくても,聴覚刺激でも,嗅覚刺激でも,適切な実験条件を設定すれば,動物はこれらの刺激の有無を弁別する。以上により,動物の行動に弁別がみられたという側面と,その刺激が動物により弁別(感知)されたという2側面が存在する。ヒトのように言語による指示を用いることができない動物の場合でも,感覚刺激の感知や感覚刺激の閾値などが,このような弁別行動を介して詳細に測定できる。

 

もうひとつ別の刺激弁別の事例として,薬物弁別実験について述べる。ここでは,ランプ点灯の有無などの外部感覚刺激を手がかりとせず,投与された薬物摂取時の内部感覚刺激を動物に弁別させる。ラットでもサル類でも。2個のレバー付きの実験場面において,たとえば,メタンフェタミン皮下投与後には,左のレバー押しに対して,また別の日には生理食塩液皮下投与後には右のレバー押しに対してのみ,それぞれ餌強化する。このような訓練を何日間かにわたり反復すると,メタンフェタミンと生理食塩水投与後の内部感覚の違いを,動物が左右のレバー押し反応のちがいにより弁別するようになる。この方法は,ヒトでの薬物投与後の自覚効果を検索す上での有用な動物実験法となる。薬物の自覚効果は,薬物の精神依存形成の質的側面と深く関わっている。従って,薬物弁別実験は,薬物静脈内自己投与実験と内容的にも方法論的に深い関係性があるといえる。

 

刺激般化 (Stimulus Generalization)

上記に説明した弁別は,生体が感覚刺激などを非常に細かく識別していく能力にもとづく行動特性であった。しかし,一方では,これとは逆に,その弁別には融通性が存在する。このような行動特性が,刺激般化である。たとえば,人間の言葉は,マイクロフォンで録音して,音響学的に解析すると,人によって様々な物理的違いがあるが,言葉としてはひとつのものとして受け止められる。物理的空気振動の特性に違いがあっても,一定範囲内の類似した空気振動は,同じ言葉となる。また,別の例で,交通信号器の赤,黄色,青のそれぞれの意味は各国共通であろう。しかし,国によって,それぞれの色の物理学的波長特性は少しずつ異なっている。物理的特性が少し異なっていても,一旦色覚として人間に認識されれば,同一の行動を制御する刺激としての役割をはたす。脳に備わった刺激般化と刺激弁別の仕組みのおかげで,生体は環境に的確かつ融通性を持って適応することができる。

 

先の薬物弁別の例について,刺激般化との関係について述べよう。メタンフェタミンを弁別した動物は,般化テスト薬物のコカインを投与されると,メタンフェタミン側のレバーを選択する。メタンフェタミンの内部刺激効果は,同じ中枢神経興奮薬のコカインの効果に般化したといえる。クロルプロマジン などの中枢神経抑制薬などをテストしても,メタンフェタミン側のレバーを選択することはない。これは,中枢神経興奮薬と同抑制薬とは弁別されており,両者に般化はみられないことを意味している。

 

条件付けプロセス (Conditioning Process)

これまでに述べてきた行動の大部分は,生体が環境刺激との相互作用において学習したものといえる。すなわち,自発反応にしても,誘発反応にしても,これらが学習され,それぞれが,オペラント反応とレスポンデント反応として成立するプロセスが条件づけである。脳内には,それぞれに対応した神経ネットワークが形成されてゆくに違いない。その内容の全容が,神経科学 (neuroscience) によって,明らかにされる未来は存在するであろう。また,コンピュータによる deep learning などで,学習プロセスが模倣されており,この方面からも,条件づけプロセスの内容が明らかにされることを期待したい。

 
条件刺激 (Conditioned Stimulus)

上記の条件づけプロセスで,環境刺激のうち,本来的には特定反応と何の関係も無いにも関わらず,ある反応に一義的に深く関わる役割を担う部分が条件刺激であり,その反応は,これにより制御される。しかしながら,条件刺激は,もともと反応の生起とは無関係な,中性的なものであり,条件付けを通して,反応が条件刺激と一義的な関係を持つ過程が成立する。この段階における条件刺激には,刺激弁別と刺激般化の両面の現象がみられる。しかし,条件刺激の提示においても,反応が強化されつづけなければ,消去が起こり,条件刺激が反応を制御することがなくなる。

 

正強化/ 負強化/ 罰 (Positive Reinforcement / Negative Reinforcement / Punishment)

行動科学的分類に従えば,まずは正強化と負強化に基づく行動が存在する。これまでに,主として正強化について述べてきた。これは,餌,ジュース,静脈内注入される薬物などを求めるオペラント反応が,高頻度かつ持続的に維持されている状況をいう。一方,負強化による反応は,電気ショックなどの刺激を逃避または回避する状況をいう。逃避反応は,ショックを受けている最中に,レバー押しなどにより,そのショックから逃避する反応をいう。一方,回避反応では,ショックを受ける前に,あらかじめブザー音などの条件刺激を警告音として提示する。反復訓練により,警告音提示の段階で,ショックを受けずに回避反応を示すようになる。

 

上記の場合の電気ショックなどは,学習により逃避あるいは回避可能であるが,一方,罰というのは回避も逃避もできない状況をいう。正強化条件で,動物がレバー押し反応により,餌を獲得するオペラント行動において,レバー押し反応に同期して,あるいは同期せずに電気ショックを提示する状況が,例として挙げられる。この期間には,通常,ランプあるいはブザーなどの条件刺激を提示する。このような状況下では,動物の反応は抑制される。しかし,この動物に,抗不安薬ベンゾジアゼピン系誘導体であるジアゼパムなどを投与すると,電気ショックによる反応抑制がはずれ,ショックを受けるにもかかわらず反応し続け,薬物による脱抑制効果が観察される。

 

下表には,正強化,負強化,罰については,「オペラント行動の成立」 として示した。

 

 

 

強化と報酬の違い (Reinforcement or Reward)

日常的あるいは一般的に,食物やジュースは報酬といわれることがある。しかし,食物は満腹の動物には報酬とはならないし,拒食症に苦しんでいる人にも,同様であろう。行動科学としては,食物やジュースなどの刺激は,それを求める反応の有無により,強化刺激としての有無が判定される。もし個体が,食物なりジュースを求める反応があれば,このプロセスを強化と呼び,食物などを正の強化刺激と呼ぶ。もし,個体がそれらを求める反応を示さなければ,このプロセスは強化とは呼ばず,それらは強化刺激とはいわない。したがって,強化刺激とは,あくまでも個体が,置かれた環境の中で,それらを求める反応を持続的高頻度に示すかどうかによる。特定刺激がどのような条件下でも報酬であり続けるという決めつけはしない。強化はあくまでも生体と環境との関係性の中で,客観的,記述的に行動が成立するかどうかによって,相対的に決められる。しかし,日常的会話の中で,報酬という言葉を使用することには,何の問題もないと考えている。



レスポンデント行動 (Respondent Behavior) 

レスポンデント行動(反応/反射)については,パブロフの条件反射が分かりやすい。まずは,無条件的な刺激である食物の提示により,イヌの唾液分泌(無条件反射/反応)を確認する。次に,中性的刺激であるブザー音が唾液分泌を示さないことを確認した後に,この中性刺激と食物をペアーで反復提示する。このような操作により,中性刺激であったブザー音が,それのみでも唾液分泌(条件反射/反応)を示すようになる。

 

唾液分泌などの生理学的反射以外の条件反応の事例としてプラセボ効果について述べてみよう。中枢神経系に作用する医薬品の常用者が,薬効のない媒体のみを投与されても,薬がある程度効いた感覚を持つことがある。薬理学におけるプラセボ効果が,ここではひとつの例として挙げられよう。

 

レスポンデント行動では,まずは,無条件反応(反射)を誘発する無条件刺激の存在が前提となる。そこで組み合わされた中性刺激により,レスポンデント行動が条件づけられる。一方,オペラント行動では,まずは自発反応の存在が前提であり,これが特定刺激と組み合わさり,強化として条件づけられる。この点で,両者には行動の成り立ちに違いが存在する。

 

「薬物依存と行動解析」という本課題では,レスポンド行動を最後に解説し,それ以外は,主としてオペラント行動について述べた。その理由は,薬物依存の中核である精神依存を実験動物で検索する最も妥当な方法が,薬物(静脈内/胃内)自己投与行動という薬物探索行動であり,これがオペラント行動であるからである。レスポンデント行動の重要性を軽視する意図はない。

 

 

4.  薬物依存の成立プロセス

 

 

中枢神経作用をもつ多種類の薬物のうちのいくつかのものについて,その反復摂取により,薬物依存という状態が生体に形成される。薬物依存は,精神依存と身体依存に分類される。薬物依存の形成ならびに維持における主役は,精神依存となる。これは,薬物に対する強迫的渇望で特徴づけら,脳内神経ネットワークにそのような構造が形成確立されてしまうと考える。動物実験では,ヒトでの精神依存の状態に類似したものとして,静脈内/胃内薬物自己投与行動により,薬物探索行動が観察できる。一方,精神依存に基づいて反復摂取された結果として,身体依存という状態も,別途,生体に形成される。身体依存は,neuroadaptation とも呼ばれ,薬物の反復摂取の結果として現れる生体の適応現象の一つである。身体依存形成の有無は,薬物の反復摂取を中断したときに,退薬症候(離脱症候)の発現の有無として検出できる。これは,薬物の種類により,嘔吐,痙攣,発汗などの激しい症候がある。なお,この図では,身体依存について,精神依存の部分集合として記載した。それは,すべての依存性薬物に身体依存が形成されるわけではないからである。さらに,以上のような薬物反復摂取をとおして,依存の核心ではないが,薬物に対する感受性変化が生体に発現する場合がある。これは薬物に対する耐性や増感作用であり,薬物依存に対して,少なからぬ影響をもたらす。

 

一方,非依存性薬物の反復摂取によっても,身体依存に相当する生体の適応現象が生ずる場合がある。これは,非依存性薬物の退薬症候の発現としてあらわれる。たとえば,抗炎症や免疫抑制に使用されるステロイド剤(副腎皮質ホルモン)を治療のために服用していて,突然中断すると炎症の増悪や原発性副腎皮質機能低下症などの退薬症候が起こる。この様なケースについては,薬物の主たる作用が中枢神経系ではなく,また精神依存が主要な課題ではないために,図の表記中の薬物依存の枠組みからははずしてある。

 

上記 WEB サイト オペラント行動と神経科 & 薬物依存の概念 参照。

 

 

 

 

薬物依存の概念

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の内容に基づいています。

 

 

上記いずれの薬物にも精神依存性が存在する。それが依存性薬物である。 Morphine, Ethanol には,精神依存性に加えて,身体依存性が存在する。一方,Methamphetamine, Cocaine, Nicotine には,身体依存性は存在しないとされている。依存(性) ,精神依存(性) ,身体依存(性) については,下記の「薬物依存の概念」と「薬物依存の用語」をご参照ください。

 

1.  薬物依存の概念

 

中枢神経作用を有する薬物(医薬品とその他の化学物質を含む)を反復摂取した場合に,生体(主として脳内神経系)に持続的変化が生じる。このような変化のうちのひとつの側面について,薬物依存 (drug dependence) という概念が設定された。それまでは,薬物濫用(乱用),薬物嗜癖,薬物習慣性,薬物中毒などと様々な用語により表記され,混乱した状況があった。しかし,薬物依存という科学的かつ明確な定義により,この混乱した状況が整理された。それによって,この分野の研究,薬物依存症の診断法と治療法,薬物乱用の抑止などに発展がみられるようになった。

 

ヒトでの薬物依存の中核には,精神依存 (psychic dependence) という脳内神経の状態変化についての概念がある。精神依存の脳内状態変化は,薬物に対する脅迫的な摂取渇望 (craving) に特徴づけられる。それによって,行動レベルでは薬物を激しく追い求める薬物探索行動 (drug seeking behavior) が現れる。それゆえ,ヒトでは薬物に対する摂取渇望の制御が研究および治療の最重要課題となる。

 

上記を受けて,実験動物を用いた薬物依存研究においては,薬物探索行動としての薬物自己投与行動が,研究の重要技術ならびに課題となる。薬物が水溶性の場合には,留置カテーテルを介した静脈内経路での薬物自己投与行動により観察する。また,薬物が水溶性でない場合には,カテーテルを胃内に留置して,媒体に懸濁した薬物の自己投与行動により観察する。

 

下記 WEB サイト 薬物自己投与 関連参照。

sites.google.com

sites.google.com

 

 

薬物依存研究において,先に述べた生体の持続的変化についての脳の生化学的,生理学的,分子生物学的,遺伝子解析学的側面の理解と把握も重要な課題となる。しかしながら,薬物依存の本質が,精神依存にあり,また,それが薬物探索行動としてあらわれるという前提あってのことである。依存性薬物を単に投与したモデルについて,脳の生理学的,分子生物学的,遺伝子解析学的検索を実施したとしても,それが薬物依存の本質的解明に無条件でつながるわけではない。

 

また,薬物依存以外にも,ギャンブル依存やゲーム依存などのように,特定の事柄に対する依存も存在している。これらには,薬物依存と共通した脳内メカニズムが存在するに違いない。しかし,薬物依存には,ギャンブル依存などと異なり,摂取した薬物の薬理作用との複合した脳内神経ネットワークがあらたに加わってくる。それゆえ,この点でギャンブル依存などとは,同一には論じられない側面が存在する。確かに,薬物依存をギャンブル依存などと統合して脳内機序を考えることについては,研究としての魅力があるかもしれない。しかし,このことによって,薬物依存の焦点がぼやけ,薬物依存でせっかく明確になった依存の概念が,ギャンブル依存などで使用されている用語と混ぜこぜになって,本来の薬物依存の概念がぼやけてしまっては,元も子もなくなるであろう。

 

薬物依存研究において,以上のように薬物依存が生体(脳の神経系)の一つの状態変化という認識にたち,それが困ったとか障害であるという価値観は一方的には付与せず,中立的かつ客観的科学的視点での研究遂行がまずは重要となる。一方,薬物依存に起因する個人の健康,日常生活,社会生活への悪影響や障害については,薬物依存症 (drug dependence disorder) という用語が別に用意されている。このような薬物依存症には,精神科領域などでの予防,診断,治療と,さらには,化学物質(薬物)の乱用に関する法的規制と取り締まりなどが,ゴールとして存在する。

 

そこで,まずは,下記に薬物依存の成立プロセスについて述べたあとに,薬物依存に関連した用語について個別に説明を加えた。これにより,薬物依存の全体像把握が形成され,薬物依存に関する的を得た研究が発展することを願った。

 

 

2.  薬物依存の成立プロセス

 

図1. 中枢神経作用をもつ多種類の薬物のうちのいくつかのものについて,その反復摂取により,薬物依存という状態が生体に形成される。薬物依存は,精神依存と身体依存に分類される。薬物依存の形成ならびに維持における主役は,精神依存となる。これは,薬物に対する強迫的渇望で特徴づけら,脳内神経ネットワークにそのような構造が形成確立されてしまったと考える。動物実験では,ヒトでの精神依存の状態に類似したものとして,静脈内/胃内薬物自己投与行動により,薬物探索行動を通して観察できる。一方,精神依存に基づいて反復摂取された結果として,身体依存という状態も,別途,生体に形成される。身体依存は,neuroadaptation とも呼ばれ,薬物の反復摂取の結果として現れる生体の適応現象の一つである。身体依存形成の有無は,薬物の反復摂取を中断したときに,退薬症候(離脱症候)の発現の有無により検出できる。これは,薬物の種類により,嘔吐,痙攣,発汗などの激しい症候がある。なお,この図では,身体依存について,精神依存の部分集合として記載した。それは,すべての依存性薬物に身体依存が形成されるわけではないからである。さらに,以上のような薬物反復摂取をとおして,依存の核心ではないが,薬物に対する感受性変化が生体に発現する場合がある。これは薬物に対する耐性や増感作用であり,薬物依存に対して,少なからぬ影響をもたらす。

 

一方,非依存性薬物の反復摂取によっても,身体依存に相当する生体の適応現象が生ずる場合がある。これは,非依存性薬物の離脱(退薬)症候の発現としてあらわれる。たとえば,抗炎症や免疫抑制に使用されるステロイド剤(副腎皮質ホルモン)を治療のために服用していて,突然中断すると炎症の増悪や原発性副腎皮質機能低下症などの退薬症候が起こる。この様なケースについては,薬物の主たる作用が中枢神経系ではなく,また精神依存が主要な課題ではないために,図の表記中の薬物依存の枠組みからははずしてある。

 

上記 WEB サイト 薬物自己投与 関連参照。

 

 

3. 薬物依存の用語

 

薬物依存 (Drug Dependence)

薬物依存については,World Health Organization (WHO) が,生物科学的視点から明確な定義づけを行った。 すなわち,薬物依存は,薬物を自発的に反復摂取した結果に起こる生体(脳)の状態変化であり,これは精神依存と身体依存の両側面に分けられる。このことにより,薬物中毒,薬物習慣性,薬物嗜癖,薬物乱用(濫用)などの様々な用語の使用が引き起こしてきた混乱からの整理がなされた。従来から使用されていたこれらの用語は,日常用語としは存在していても,薬物依存を科学的に論じる上では混乱を引き起こしがちであるという理由によって,薬物依存の用語に統一すべきと考えられた。

 

また,薬物依存は,あくまでも生体の状態についての客観的記述であり,それが良いとか悪いとか,障害や弊害があるなどの状態を述べるものではない。薬物依存の状態により,個人の健康,その日常生活あるいは社会生活において問題が生じたときには,精神科領域などでの診断,治療の対象となる。そして,これには薬物依存症 (drug dependence syndrome or disorder) という用語が別途用意されている。また,薬物依存症が高じて薬物乱用が,社会的に問題を引き起こす場合には,法的な規制や取り締まりの対象となる。

 

薬物依存に関して,上記に述べたような嗜癖など他にも様々な定義や考え方が存在する。それぞれは,薬物依存の一面をとらえているかもしれない。しかし,極めて入り組んだ複雑な側面をもつ薬物依存については,様々な側面を盛り込もうとすると混乱が生じてくる。そこで,上記に述べた WHO の薬物依存に関する定義から理解を深めるのが一番分かりやすく,薬物依存の問題の本質に触れることができると考えている。

 

 

精神依存 (Psychic Dependence) 

薬物依存の主軸ともいえる精神依存は,薬物に対する強い渇望によって定義付けられる。精神依存は,そのような渇望が存在する生体(脳の神経系)の状態をいう。これとリンクして,行動レベルでは,強迫的な薬物探索行動が現れる。動物実験では,薬物(静脈内/胃内)自己投与法により,この部分を再現できる。

 

上記 WEB サイト 薬物自己投与 関連参照。

 

一方,薬物依存の問題を離れて,食物や水分に対する飢餓状態を考えてみよう。これは,脳内の特定関連部位の神経興奮に基づいており,この生理的仕組みは,生体が生まれた時から自然にそなわり,生体の環境への適応や生存に必要な条件となっている。

 

薬物の精神依存は,特定薬物を何度も経験することによって,後天的に脳内神経ネットワークが強固に形成されたと考えられる。これが,個人の健康,日常生活や社会生活に障害や弊害をもたらす状態に進み,薬物依存症に至ると問題が発生する。以上により,薬物依存症の予防あるいは治療については,精神依存に対処することが最も重要と考える。ここでは,薬物に対する激しい渇望を,単に理性による制御の問題としてのみ考えることはできず,その背景には生物学的基盤が形成されてしまったと考えねばならない。

 

 

身体依存 (Physical Dependence)

これは薬物依存の精神依存とは別のもう一つの側面である。身体依存は,精神依存における薬物に対する渇望を引き起こす脳内の状態とは別に,薬物反復摂取が生体に引き起こした新たな身体神経順応状態 (neuroadaptation) をいう。生体が,この身体依存の状態にあるかどうかについては,反復摂取している薬物をやめた時の身体的な退薬症候の発現により明確になる(退薬症候/離脱症候については下記項目参照)。モルヒネ などの身体依存が形成された場合には,その薬物摂取が途切れると発汗などの特徴的な退薬症候もさることながら,他に激しい苦痛が起こる。ここで,陶酔感などが得られた初期のモルヒネ 探索行動は,やがて苦痛からの逃避あるいは回避行動としての薬物探索行動にその性質が変わってしまう。以上により,薬物依存における身体依存は,精神依存を前提とした概念となる。それゆえ,図1には身体依存を精神依存の部分集合として示した。

 

 

退薬症候 / 離脱症候 (Withdrawal Syndrome)

薬物依存の状態において,その薬物摂取を突然中断したときに発現する身体の反発現象である。モルヒネ依存の退薬症候として,発汗,あくび,流涙,鼻漏,散瞳,胃痙攣,嘔吐などがある。一方,ベンゾジアゼピン誘導体依存の場合の退薬症候には,頻呼吸,頻脈,振戦,反射亢進,痙攣発作などがある。アルコール依存の退薬症候としては,手や全身の震え,発汗,不眠,嘔吐,幻覚,幻聴,見当識障害などがある。

 

 

退薬症候は,以前には禁断症状ともいわれていた。禁断症状には,薬物を突然中断したとことに起因するとのニュアンスが感じられる。しかし,薬物を突然中断したとしても,体内の薬物の血中濃度あるいは組織内濃度はゆっくりと消失してゆくので,禁断という用語は適切ではないと考えられた。また,症状 (symptom) は,自覚症状というように,頭痛や腹痛などの身体の状況を,患者がその主観に基づいて医師に訴えることをいう。一方,医師が患者の状況を客観的他覚的に診断する場合の身体的変化を徴候 (sign) という。これらの症状と徴候を合わせたものを症候群 (syndrome) といい,そこで,上記二つの側面を含めて,退薬(離脱)症候と包括的に呼ぶことが,禁断症状というより適切と考えられるようになった。

 

 

薬物依存症 (Drug Dependence Syndrome or Disorder)

薬物依存は,生体の状態を科学的客観的視点に記述したものであり,良いとか悪いとか困ったとかの意味はないと先に述べた。しかし,薬物依存症となると,これは治療の対象となる病的状態である。ここに至るステップは,次の通りである。生体に精神依存状態が形成⇨薬物に対する激しい渇望 ⇨薬物探索行動⇨薬物過剰摂取⇨健康,日常生活あるいは社会生活の面で明らかな弊害が発生。この最終ステップでは,薬物過剰摂取を自身の理性などで制御するのは容易ではなくなり,薬物依存症となる。ここでも,薬物依存の本質は,精神依存であり,ここにターゲットを定めた制御あるいは治療が薬物依存症の根本的治療法となるであろう。

 

具体例を挙げると,適度なアルコール摂取は問題なしと考えられている。しかし,その摂取に制御が効かなくなり,仕事中も飲酒のことのみを考え続け,あるいは実際に摂取し,仕事に支障をもたらすようになった場合には,アルコール依存症といえる。なお,アルコール依存であっても,社会的に許容範囲内の制御できるアルコール摂取について考えると,アルコール依存とアルコール依存症とは区別すべきものと考えられる。アルコールを嗜むこと,アルコール依存,アルコール依存症は,一つの連続した流れにあり,どこで踏みとどまれるかは,精神依存に対する行動制御の問題となる。しかし,これは,すべてを個人の意思とか理性の問題としてのみとらえるべきではない。薬物依存では,個人の脳内神経に生物学的ネットワーク基盤が新たに,そして強固に形成されたと考えるべきである。生物は,いずれも食物や水分からの飢餓の状態を,意思や理性のみでは克服できないことと同様である。

 

 

精神毒性 (Psychic Toxicity)

薬物や各種化学物質の肝機能など各種臓器に対する障害については,形態学的/病理学的検索などで毒性が把握されている。一方,薬物の精神毒性については,これらの検索では把握できない。しかし,毒性として認識しなければならないものがある。覚醒剤メタンフェタミンなど)依存症の場合には,依存者が,幻覚や妄想を体験して,犯罪を引き起こすことがある。このような覚醒剤などによる幻覚妄想などについては,覚醒剤が発現する精神毒性という。

 

 

耐性 (Tolerance) 

薬物を反復摂取してゆくうちに,その薬物の当初の効果が弱まり,同じ効果を得るために薬物用量を増加させねばならない場合がある。これを薬物耐性と呼ぶ。この耐性という言葉には,耐性が起こった生体側の状態をいう場合と,耐性を引き起こす薬物側の特性について述べる場合とがある。薬物によっては,耐性を引き起こすものと,そうでないものがある。しかし,薬物に耐性が生じると,薬物依存の状態が深まり,やがて依存症への道筋を加速的にたどる場合がある。薬物耐性は,薬物依存の本質的部分ではないが,薬物依存が形成される中で随伴して生じる重要な側面といえる。

 

 

逆耐性 (Reverse Tolerance) / 増感作用 (Sensitization)

耐性は,一定用量の薬物の効果が,その反復使用により減弱することをいうが,逆耐性は,一定用量の薬物効果が,薬物反復摂取により,逆に増強されることをいう。実験的には,メタンフェタミンなどの覚醒剤の一定用量を,ラット/マウスに反復投与すると自発運動量が,どんどん増強されることなどで観察されている。また,覚醒剤使用をやめた依存者が,何年も経過して,微量の覚醒剤に,再び手を出すと,以前とは違った大きな効果を得てしまうことなどがある。これらは,逆耐性の事例であるが,一方で薬物の履歴現象とも呼ばれている。

 

著者は,逆耐性について,これをわざわざ耐性の逆と言う必要はなく,薬物の増感作用と呼べばよいと考えている。その理由は,耐性と逆耐性が同じ神経メカニムの上で成立し,方向性のみが逆であるという保証は何もないからである。生理学には,神経の抑制と興奮という概念があるが,興奮をわざわざ逆抑制と呼ぶことはないであろう。一方,神経生理学には,脱抑制というのがあるが,これは,抑制性神シナプス活動がはずれるという意味で,こちらには違和感を感じない。

 

 

その他の薬物依存に関わる様々な用語

薬物依存に関する用語は,精神依存,身体依存,依存症がメインとなる。しかし,従来から,上記以外にも様々な用語が使用されてきた。

 

薬物中毒 (Drug Intoxication) というのは,アルコール中毒(アル中)というように馴染み深い用語であった。しかし,これは,その薬物の依存を意味するのか,あるいは薬物摂取時の急性アルコール中毒を意味するのか紛らわしい。両者は薬理学的には,全く別物である。したがって,アルコール依存(症)と大量のアルコール摂取による急性アルコール中毒は,それぞれ alcohol dependence (alcohol dependence syndrome or disorder) と alcohol acute toxicity とに分けて記載する必要がある。

 

薬物乱用 (Drug Abuse) というのは,薬物依存のような生体の状態に関する概念というより,社会的に薬物が不法に,あるいは濫りに用いられている状況を指す。実際に依存性薬物の法的取締基準などでは, 乱用薬物 (abused drugs) などの表記が用いられており,これはこれで適切な表現と考えている。

 

薬物嗜癖 (Drug Addiction),薬物耽溺 (Drug Indulgence),薬物習慣性 (Drug Habituation) などは,永年,社会で使用されてきた馴染み深い言葉である。現在も,日常の言葉として使用されている。しかし,科学研究においては,薬物依存という用語に統一されることによって,問題の所在が明確になり,そのことによって薬物依存の研究は大きく発展した。したがって,科学研究で用いる用語と日常で用いる言葉は,使い分ける必要があると考えている。なお,米国ボチモア市に, Addiction Research Center という National Institute of Health (NIH) 傘下の研究機関が存在し,薬物依存の世界的レベルの研究が遂行されている。国家の研究機関なので,Addiction という国民の理解を得やすい名前が残されていると解釈している。

 

薬物依存性 (Drug Dependence Potential or Liability)

依存を引き起こす薬物側の特性。薬物依存は,生体側の状態について記載した用語であると述べてきた。一方,薬物と生体との相互作用の結果から,依存を惹起しうる薬物側の特性を表す場合に,薬物依存性という。依存性薬物とは,そのような特性を有する薬物をいう。

 

薬物依存性についての英語表記のうち drug dependence potential は,薬物依存能という用語も当てはまるであろう。Potential については,まだ実際には依存形成が報告されていない薬物でも,化学構造的にみて,すでに依存性が認められている薬物との類似性から,依存形成の potential が存在し,したがって,依存性があることを予知される場合も含めたニュアンスと考えている。

 

Liability については,医学用語として易罹病性というのがある。したがって,drug dependence liability は,依存(症)を惹起しやすい薬物の特性というニュアンスであろう。また, liability には,法律的責任という本来の意味がある。家電製品などの製造物責任については,その取り扱い説明書の最初のページに細かく liability についての詳細な記載がある。そこで,製薬会社が医薬品を製造販売した場合にも,その医薬品の依存性についても,同様に記載する責任があり,このような場合には,drug dependence liability という用語を当てはめているのではないかと考えている。



4.  依存性薬物の分類

一般的な薬物の分類については,薬理作用,化学構造式,臨床適応などに基づいて,薬物はそれぞれ分類されている。しかし,依存性薬物の分類は,これらとは異なり,依存性の程度,乱用された場合の弊害の程度と医薬品としての有用性とのバランスを考慮して分類されている。以上の例として,米国司法省ならびに同麻薬取締局による規制化合物スケジュール (Control Substance Schedule) は,依存性薬物(化合物)の種類とその乱用状況を知る上で参考となる。 薬物の使用を取り締まるという視点で,薬物依存性の強さと医療目的のバランスを考慮して,Schedule I から Schedule V まで分類した。Schedule I  は,医療に用いられる可能性は低いにも関わらず,依存性が極めて強いものである。Schedule II  は,依存性は強いけれども,医療には有用性があるものが分類されている。以降の Schedule は,依存性の程度と医療目的をバランスにかけて分類されている。この分類は,依存性薬物の性質やそれに対する見方を理解する上でわかりやすいと考えた。ただし,米国で流通している薬物の商品名については,われわれにとって一部馴染みのないものもある。

 

 

Schedule I:

最も強い依存性を有し,医療に用いられる可能性が低い化合物(例として一部のみを記載,以下同様)

Heroin, Lysergic acid diethylamide (LSD), Marijuana (Cannabis), 3,4-Methylenedioxymethamphetamine (Ecstasy), Methaqualone, Peyote

 

Schedule II:

医療用として使用されるが,極めて強い依存性を有する薬物

Combination products with less than 15 milligrams of hydrocodone per dosage unit (Vicodin), Cocaine, Methamphetamine, Methadone, Hydromorphone (Dilaudid), Meperidine (Demerol), Oxycodone (OxyContin), Fentanyl, Dexedrine, Adderall, Ritalin

 

Schedule III:

医療に用いられており,依存性に関して,上記2分類よりは弱いが,なおかつ依存性のある薬物

Products containing less than 90 milligrams of codeine per dosage unit (Tylenol with codeine), Ketamine, Anabolic steroids, Testosterone

 

Schedule IV:

医療に用いられているが,弱い依存性のある薬物

Xanax, Soma, Darvon, Darvocet, Valium, Ativan, Talwin, Ambien, Tramadol

 

Schedule V:

咳止め,下痢止め,鎮痛を目的とした医療に用いられている薬物などで,上記よりさらに弱い依存性薬物,

Cough preparations with less than 200 milligrams of codeine or per 100 milliliters (Robitussin AC), Lomotil, Motofen, Lyrica, Parepectolin.



5.  実験動物を用いた薬物の依存性

に関する前臨床医学評価法

 

中枢神経作用のある新規化合物を医薬品として,新たに厚生労働省に申請する場合には,安全性試験の中の一つとして,Good Laboratory Practice (GLP) 基準での動物実験による依存性評価実験実施が求められている。全ての医薬品について,依存性試験の実施が必要というわけではなく,その化合物に中枢神経作用があり,これまでに依存性が知られている化合物と化学構造的,臨床適用,事例的に類似している場合などが該当する。クロルプロマジンなどの抗精神病薬やイミプラミンなどの抗うつ薬などについては,中枢神経作用が存在しても,依存性はないとされている。したがって,これらとの類似薬物には,依存性試験の実施は求められることはなかった。しかし,上記の臨床適応薬であっても,化学構造などで新しいタイプのものや中枢神経に対して興奮作用が存在する薬物については,依存性試験の実施が必要とされている。

 

臨床医学研究所 柳田知司博士 (1930  - 2016) の指導のもとで,著者が実施してきた薬物依存性試験では,まずはラットとアカゲザルにおいて,新規化合物の中枢神経作用を肉眼的症候観察により把握した。ここでは,あらかじめ記録シートに定められた各症候項目について,その発現の有無と程度を記録した。

 

次に,アカゲザルの薬物自己投与行動について観察した。すなわち,レバー押しに対して,薬物を静脈内(薬物が水溶性の場合)あるいは胃内(薬物が水溶性でない場合は懸濁薬として)に注入する。1回のレバー押し反応に対して注入する単位用量は,先の中枢神経効果に関する症候観察を参考として定めた。すなわち,症候発現のみられた最小用量の 1/4 用量などを,まずは,はじめの単位用量として定めた。以後は,単位用量を2週間の観察期間ごとに,増減させてレバー押し反応による薬物自己投与行動の有無について観察した。ここで,サルによる薬物の自己投与回数が,媒体(生理食塩液や懸濁用媒体)のコントロールとの比較において増加した場合には,その化合物には,強化効果ありとした。薬物に強化効果が存在しただけでは,その薬物に精神依存性がるとはいえない。しかし,その薬物に精神依存性が存在するには,まずは,それに強化効果が存在することを示す必要がある。そこで,さらに薬物の精神依存性の強さを確かめるには,薬物に対する強迫的摂取行動をみる必要がある。そこで,アカゲザルでの累進比率スケージュール (progressive ratio schedule) による薬物自己投与行動の観察が,精神依存性の強さ確認のステップとして存在する。累進比率スケジュールについては,上記 WEBサイト 薬物依存と行動解析  に解説した。

 

その他,身体依存につては,アカゲザルでは,薬物反復投与法により,またラットでは,薬物混餌法によって,それぞれ薬物を数週間にわたり動物に連続投与した。その後の休薬期間において,その薬物の身体依存性の有無については,退薬症候の発現の有無により判定した。特にアカゲザルでは,モルヒネ型ならびにバルビタール型の2種類の身体依存モデルを必要に応じて作成しておいた。ここでは,モルヒネあるいはバルビタールを1日4回投与して,4週間後に休薬して,それぞれの退薬症候を観察した。その上で,新規化合物の急性投与による退薬症候抑制の有無により,その新規化合物のモルヒネあるいはバルビタールのいずれかとの交差身体依存性を評価した。上記いずれの薬物で身体依存を形成するかについては,新規化合物の化学構造式や薬理作用などから,バルビタール型あるいはモルヒネ型のいずれかをあらかじめ想定した。テストにより,もし新規化合物投与が上記のいずれかの退薬症候を抑制すれば,その薬物にモルヒネ型あるいはバルビタール型の交差身体依存性が存在すると判定した。

 

ある薬物に,実験動物を用いた前臨床試験で依存性が検出されたとしても,そのこと自身で,その薬物の価値が失われることではない。その薬物の臨床効果の有用性とのバランスで,また依存性があったとしても法的規制の中で,その薬物の適切な臨床適用が定められる。したがって,動物を用いた前臨床医学試験では,その薬物の依存性を的確に最大限検出することが重要となる。また,薬物依存性試験では,現代科学において知られている最も適切で鋭敏な試験方法により,依存性の有無を検出すべきとされている。

 

 

6.  薬物依存の概念の明確化と

研究の推進に貢献した柳田知司博士

 

柳田知司博士 (1930 - 2016)は,当時において世界の薬物依存研究の中心拠点のひとつであった米国ミシガン大学医学部薬理学教室に留学され,そこでアカゲザルを用いた薬物静脈内自己投与法を完成させた。この方法により,薬物依存の核心である精神依存を高次脳機能をもつサル類実験動物で研究する道が拓けた。帰国後は,実験動物中央研究所に前臨床医学研究所を開設し,そこで,薬物依存研究と前臨床医学研究が強力に推進された。その業績の一端は,彼の多くの論文に記載されている。ここでは,「臨床薬理」に掲載された薬物依存の用語解説についてと「日本薬理学雑誌」に掲載された薬物依存研究に関する総説を記載した。これらは,下記URL のクリックにより,PDF で全文を読むことが可能である。薬物依存研究は,薬物依存の概念を明確に把握することが前提であり,これによってのみ適切な薬物依存研究が遂行されると考えている。

 

柳田知司著:薬物依存関係用語の問題点

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscpt1970/6/4/6_4_347/_pdf

 

柳田知司著:薬物依存研究の展望 - 精神依存を中心に

https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj1944/100/2/100_2_97/_pdf



7.  薬物依存症と

薬物乱用社会の過酷な現実

 

我が国の薬物乱用の問題も極めて深刻ではあるが,海外にはもっと深刻で悲惨な状況が多く存在している。下記に添付した youtube URL には,米国ペンシルバニア州フィラデルフィア市のケンジントンアベニューのホームレスの薬物乱用者を撮影した動画がある。これは,米国のこの現実を国民に認識してもらい,この状況を変えていかねばならないとの強い意図をもって,制作されている。

 

上記の意図を理解し,内容が極めて悲惨であることをあらかじめ了解していただいた場合のみ,下記 URL をクリックして動画をみていただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=l6dXUsjtOLU&list=RDCMUCOuf_kStlWnhuauw4ce8l-w&index=2

 

 

参考文献

 

安東潔,川口武,河上喜之,柳田知司: LY170053 のアカゲザルおよびラットにおける薬物依存性試験。実中研・前臨床研究報,1993, 19 (2) :73-92.

LY170053: Olanzapine or Zyplexa ;  非定型抗精神病薬双極性障害治療薬,制吐剤。

 

安東潔,川口武:SM-9018 のアカゲザルおよびラットにおける薬物依存性試験。基礎と臨床,1997: Vo; 31, No. 2, 321-341.

SM-9018:Perospiron, 抗精神病薬

 

柳田知司:薬物依存関係用語の問題点。臨床薬理,1975:Vol;4,347-350.

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscpt1970/6/4/6_4_347/_pdf

 

柳田知司:薬物依存研究の展望 - 精神依存を中心に。日本薬理学雑誌 (Folia pharmacol japon),1992: Vol;100, 97-107.

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj1944/100/2/100_2_97/_pdf




 

 

オペラント行動と神経科学

 

g-links's blog

本ブログは,WEBサイト 神経行動解析リンクス (Neurobehavioral Links)

https://sites.google.com/view/behavior100/

の内容に基づいています。

 

 

1.  B. F. Skinner

(1904 - 1990)

 

 

Skinner, B.F. は 米国 Harvard  大学の心理学研究室で,主としてラットとハトを用いたオペラント行動に関する実験的研究を行った。その上で,行動に関する基本原理としての強化理論体系を構築した。生体は生まれた時点から,偶発的に様々な自発行動(反応)を発するが,それらは環境側の刺激フィードバックを受ける。そして,その生体の生存に適した刺激フィードバックのみが,その行動を強化し,以後その行動の持続的な発現頻度が増し,定着する。これが生体の学習原理であり,強化理論の本質である。ここでは,ヒトの行動についても動物の行動についても,行動それ自身が実証科学研究の対象となり,そこには行動をとおして動物の心を探るなどといった視点は存在しない。しかし,一方において厳然と存在するヒトの心や意識の重要な課題などを,動物の行動をとおして理解しようという問題意識までも,Skinner 学派が否定しているわけではない。心理学が歴史的にも,心の問題を散々取り上げて,結局は自然科学の研究領域で市民権を得られなかったところを,Skinner 学派の視点は大きく変えたといえる。生体の行動に関する強化理論は,いわゆる主観的心理主義の入り込む余地のない客観的科学的視点であり,強化行動の側面は神経科学分野でも取り入れられてきた。

 

このような立場は,不毛な神学的論議や精神論を避けた人間行動の本質的理解につながると考えている。なお,この領域の学問は,実験行動分析学 (The Experimental Analysis of Behavior)  と呼ばれ,そこには行動に対する科学的観察視点にのっとた方法論的思想と実際の行動制御技術の両輪を包括した学問体系である。

 

Skinner 学派の築き上げたオペラント行動に関する実験行動分析学が包括する学問体系とそれに基づく技術は,神経科学の他にも行動薬理学,薬物依存学,教育学,経済学その他の多くの領域に広く応用され,この学問体系の普遍性と有用性が示されている。

 

 

下記 URL は,Harvard  University, Department of Psychology のホームページでの Skinner に関する記載

https://psychology.fas.harvard.edu › people › b-f-skinner

 

写真は Animal Behaviour, Life Nature Library, 1966 から。

 

 

オペラント行動に関する書籍を2冊下記に挙げておきたい。

 

Holland, J.G. and Skinner B.F.: The  Analysia of Behavior,  A Program for Self-Instruction. McGraw Hill Book Company, Inc. 1961.

 

上記は,オペラント行動について理解する上で最も適切な教科書の一つであろう。本書は,プログラム学習により,読み進む構造となっており,一つ一つの知識と概念を確実に学習してから,次のステップに進むようになっている。通常の読書のように,理解してもしなくても,ページを読み進めてゆく場合とはわけが違う。本書を読み終えた後には,爽やかな達成感が残る。半世紀以上前の教科書ではあるが,オペラント行動科学の基本について適切に学ぶことができる。これが遺伝子工学分子生物学,免疫学など最新の医学/生物学の領域においては,古い教科書には歴史的意義は存在しても,正しい知識を吸収するには不十分な場合もあるかと思う。これらの領域では,研究対象をひとつひとつの要素に分解して,とことん分析/解明し続け,これまでの概念が大きくかわることがある。一方,行動科学研究も日進月歩してはいるが,行動という生体の最も高度にして統合された機能の枠組みについての考え方は,それが正しい限りにおいてであるが,変わることがない。これが,上記の教科書が色褪せない理由と考えている。



Skinner B. F.: The Behavior of Organisms: An Experimental Analysis. 1938, Appleton & Century, Reprinted by the B. F. Skinner Foundation in 1991 and 1999.

 

 

上記は,オペラント行動に関するバイブルと呼ばれている。全編を読み切るには,少し努力が必要である。85年以上前に,若き Skinner が,Harvard 大学の学位論文として執筆した内容を含めて書籍にした。

 

特筆すべきは,本書の終わりに近い部分に,W.T. Heron との共同研究に関する記載がある。すなわち,ラットのレバー押しオペラント行動に対して,caffein と bezedrine (amphetamin) の反応増加効果について述べている。Amphetamine は食欲抑制効果があるにもかかわらず,餌を獲得するためのレバー押し反応の増加について特記している。ここから,おおよそ 30年後に,主として米国において,薬物とオペラント行動の知見を包括した行動薬理学という学問領域が開花した。

 

 

佐藤正哉:オペラント行動と実験行動分析学 -その双生児の来し方行末 -   心理学評論 1975年 Vol. 18 No.3, 129-161.

 

Skinner 学派の研究業績についての歴史的概観とその将来について,和文で丁寧に記載してある。下記 url により,PDF の閲覧可能。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/18/3/18_129/_pdf/-char/en

 

 

2. 実験動物のオペラント行動

 

2.1.  ラットの餌強化

オペラン

動物が安定した高頻度のレバーを押し反応を示し,餌粒などを持続的に獲得することは,オペラント行動としてよく知られている。上記の写真は,2個のレバー付きオペラント実験箱(スキナーボックス)内のラットである。この実験条件における2種類の弁別行動について説明したい。その一つは,ランプ点灯の有無に関する外部感覚刺激を動物が手がかりとする明暗弁別行動であり,もう一つは,薬物投与によってもたらされる内部感覚を動物が手がかりとする薬物弁別行動である(写真は,著者らの実験から)。

 

ランプ点灯の有無に関する明暗弁別行動:

2個のレバー上にあるそれぞれのランプを試行毎に左右ランダムに点灯する。点灯側のラットのレバー押し反応には餌強化し,非点灯側のレバー押しには強化しない訓練を反復する。その結果,ラットは,ランプ点灯側レバーのみをほぼ 100%  の正確性で押すようになり,ランプ明暗弁別行動が確立される。このようなラットに,中枢性アセチルコリン神経阻害薬スコポラミンなどを皮下投与すると,正選択率が 100% からチャンスレベルである 50% に向けて減少する。このとき,薬物の至適用量条件を設定すると,正反応と誤反応の合計反応数には,生理食塩水コントロールと比べて大きな差がみられない。このことから,この実験では,単に薬物の非特異的抑制効果を検出しているのではなく,薬物による明暗弁別行動に対する特異的障害効果を検出していることがわかる。このようなことから,明暗弁別行動を認知機能を測定する単純な実験系と仮定すると,この行動は薬物の認知機能障害などを測定する動物モデルとして利用されうる。

 

Hironaka N, Miyata H, Ando K (1992) Effects of psychoactive drugs on short-term memory in rats and rhesus monkeys. Japanese Journal of Pharmacology. 59(1): 113-120.

DOI: 10.1254/jjp.59.113

 

薬物の与える内部感覚効果についての弁別行動:

薬物弁別行動でも,上記同様に2個のレバー実験条件とする。ただし,ここではランプ点灯のような外部感覚刺激を弁別の手がかりとはしない。しかし,投与された薬物の効果を動物が感知し,それを弁別の手がかりとするような実験設定をする。たとえば,メタンフェタミン皮下投与後には,左のレバー押しに対して,また別の日には生理食塩水皮下投与後には右のレバー押しに対して,それぞれ餌強化する。このような訓練を反復すると,メタンフェタミンと生理食塩水投与後の内部感覚の違いを,ラットが左右のレバー押し反応のちがいにより弁別するようになる。このことから,ラットは内部感覚としてのメタンフェタミンの効果を,生理食塩水投与の場合と違うと弁別したと捉える。この方法は,ヒトでの薬物投与後の自覚効果を検索するための有用な動物実験法となる。薬物の自覚効果は,薬物の精神依存形成と深く関わっており,後に記載した薬物静脈内自己投与実験と方法論的に深い結びつきがある。

 

Ando K, Yanagita T (1992) Effects of an antitussive mixture and its constituents in rats discriminating methamphetamine from saline. Pharmacology, Biochemistry and Behavior, 41(4): 783-788.

DOI: 10.1016/0091-3057(92)90227-7


ラット・オペラント行動を利用した著者のその他論文

Ando K (1975) The discriminative control of operant behavior by intravenous administration of drugs in rats. Psychopharmacologia (Berl), 45: 47-50.

 DOI: 10.1007/BF00426208

 

Ando K (1975) Profile of drug effects on temporally spaced responding in rats. Pharmacology, Biochemistry and Behavior, 3(5): 833-841.

DOI: 10.1016/0091-3057(75)90114-8

 

 

2.2.  コモンマーモセットのジュース強化オペラント行動

 

 

小型サル コモンマーモセットにおいて,2個のレバー付きオペラント実験箱内で,ランプ点灯側のレバー押しに対してジュースで強化する。マーモセットのレバー押しオペラント行動は,一応形成できる。しかし,ラット,アカゲザルなどに比べて,行動が安定しないと考えている。その理由として,レバー押しの動機付けを高めるために,ラットやアカゲザルなみの強い給水制限あるいは給餌制限をかけることが難しい点にある。それは,身体的にタフではない,この小型サルの衰弱回避を考えてのことである。そのほか,マーモセットは様々な刺激に対していちいち敏感に反応する行動特性を有し,落ち着きが欠如していることも挙げられる。これらのことにより,マーモセットには,ラットやアカゲザルほどには安定したオペラント行動ベースライン確立はみらないとの印象をもっている。

 

臨床医学研究での薬物効果の評価などには,動物の安定的なベースライン行動の確立が前提となるので,この領域におけるマーモセットの利用には,個人的には慎重になっている。しかし,この問題については,もう少しマーモセット の学習行動に関する知見の集積を重ねて,客観的に評価することが重要であろう(写真は,著者らの実験から)。

 

2.3.  コモンマーモセットの視聴覚強化オペラント行動

iPad スクリーン上の動画タッチ反応による )

 

 

 

様々な刺激に対して敏感に反応するマーモセットの特性を利用して,iPad スクリーン上に,無音条件で9個のサル類の動画を同時に提示し,そのうちのいずれかへのタッチ反応を形成した。その反応に対する強化刺激は,タッチしたサル動画の拡大とサルの鳴き声を用い,この条件下でのマーモセットのスクリーンタッチ反応は確立できた。これは,sensory reinforcement あるいは audiovisual reinforcement に基づく行動とも考えられ,餌やジュースなどを強化刺激として用いなくても確立された学習行動である(現在,国際学術誌に原著論文投稿中:写真は,著者らの実験から)。

 

Ando K, Inoue R, Nishime C, Nishinaka E, Tsutsumi H (2015) Attempts to measure cognitive function of the common marmoset for the purpose of detecting its impairment in Parkinson’s disease model.  Reported in Society for Neuroscience, October 21 2015.

 

 

2.4.  アカゲザル遅延見本合わせ

(ジュース強化による)

 

 

アカゲザルの個別飼育ケージ内の壁面パネルに,三個の円形刺激盤を取り付けた。この刺激盤は,それぞれタッチセンサーとの連動があり,サルの刺激盤へのタッチ反応を逐一記録した。中央の刺激盤は,見本刺激提示用として,試行ごとに赤あるいは青のいずれかを点灯する。この中央の刺激盤の消灯から一定時間経過後に,左右の選択刺激盤に,それぞれ赤あるいは青のいずれかを試行ごとに左右ランダム配列で提示した。そこで,先ほど提示されていた見本刺激と同色の選択刺激盤タッチ反応をオレンジジュースで強化した。反復訓練により,サルは,見本刺激を消灯した一定時間経過後にも,見本刺激と同色の選択刺激への反応を示し,その正選択反応率は,安定的に 80%以上であった。このような正選択反応には,外部手がかりが一切ないので,動物でも脳の中に何らかの色に関する記憶痕跡を手がかりとしていると考えられる。このモデルを用いて,記憶障害の治療法に関する前臨床医学研究評価などが行われている(写真は,著者らの実験から)。

 

Ando K, Hironaka N, Shuto K (2003) Effects of vinconate on scopolamine-induced memory impairment in rhesus monkeys. Japanese journal of neuropsychopharmacology, 23(1): 43-46.

https://www.researchgate.net/publication/10808352_Effects_of_vinconate_on_scopolamine-induced_memory_impairment_in_rhesus_monkeys

 


アカゲザル・オペラント行動を利用した著者らのその他論文

 

Ando K, Johanson CE, Schuster CR (1987) The effects of ethanol on eye tracking in rhesus monkeys and humans. Pharmacology, Biochemistry and Behavior, 26(1): 103-109.

DOI: 10.1016/0091-3057(87)90541-7

 

Ando K, Johanson CE, Schuster CR (1986) Effects of dopaminergic agents on eye tracking before and after repeated methamphetamine. Pharmacology, Biochemistry and Behavior, 24(3): 693-699.

DOI: 10.1016/0091-3057(86)90576-9

 

Ando K, Johanson CE, Seiden LS, Schuster CR (1985) Sensitivity changes to dopaminergic agents in fine motor control of rhesus monkeys after repeated methamphetamine administration. Pharmacology, Biochemistry and Behavior, 22(5): 737-743.

DOI: 10.1016/0091-3057(85)90522-2

 

Ando K, Johanson CE, Levy DL, Yasillo NJ, Holzman PS, Schuster CR (1983) Effects of phencyclidine, secobarbital and diazepam on eye tracking in rhesus monkeys. Psychopharmacology (Berl), 81(4): 295-300.

DOI: 10.1007/BF00427566

 

Ando K, Takada K (1979) Trialwise tracking method for measuring drug-affected sensory threshold changes in animals. Neurobehavioral Toxicology, 1 (Suppl 1): 45-52.

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/299584/

 

Ando K, Yanagita T (1978) The discriminative stimulus properties of intravenously administered cocaine in rhesus monkeys. In Colpaert, F and Rosecrans, J Eds. Stimulus Properties of Drugs: Ten Years of Progress. Elsevier/North-Holland pp. 125-136.

Corpus ID: 141952534

 

2.5.  ラットの脳内微弱電流自己刺激行動

 

 

ラットがレバーを押すと脳内の特定部位に微弱電流を提示する。大脳基底核の適切な部位への刺激条件とした場合には,ラットは頻回なレバー押し反応を示す。このことから,自己刺激-報酬系と呼ばれる部位が脳内に存在することが明らかとなった。このような強化行動は,動物が自然界では決して遭遇することないものであり,この点で餌やジュースなどの強化行動とは基本的に異なるが,特定刺激を積極的に求める正強化行動という点では,餌やジュースなどの行動と共通性がある。報酬と強化の違いについては,薬物依存と行動解析 のページを参照されたい。

 

図は,Psychobiology: The Biological Bases of Behavior, Animal Behaviour, Readings from Scientific American, 1966, W.H. Freeman & Company から。

 

Olds J (1958) Self-stimulation of the brain. Science, 127 (3294): 315-324.

DOI: 10.1126/science.127.3294.315

http://dx.doi.org/10.1126/science.127.3294.315


上記の処置された実験動物の画像については,本ページ内最下段 「4. 動物実験の倫理」 をご参照ください。

 

2.6.  ラットの薬物静脈内自己投与行動

 

ラットがレバーを押すと,一定用量の薬液(たとえば,モルヒネ )が,カテーテルを介して静脈内に注入される。ヒトで依存性が知られている薬物については,ラットもこの実験方法で積極的に自発摂取することが証明された。この方法は,薬物の精神依存性を測定するラットでの標準化された実験法とされている。この行動は,上記の脳内自己刺激行動と同様に,動物が自然界で遭遇することはなく,実験的設定でのみ観察できる正強化行動といえる。

 

図は,Psychobiology: The Biological Bases of Behavior, Animal Behaviour, Readings from Scientific American, 1966, W.H. Freeman & Company から。

 

Weeks, J (1962) Experimental  morphine  addiction : Method for automatic intravenous injections in unrestrained rats. Science, 138 (3537): 143-144.

DOI: 10.1126/science.138.3537.143

https://www.ncbi.nlm.nih.gov › pubmed

 

下記 WEBサイト 薬物依存の概念   &   薬物依存と行動解析 参照

 

上記の処置された実験動物の画像については,本ページ内最下段 「4. 動物実験の倫理」をご参照ください。

 

 

2.7.  アカゲザルの薬物静脈内自己投与行動

投与

 

薬物静脈内自己投与実験は,アカゲザルでも実施された。現在においても,明確な医学生物学的研究目的があれば,実施可能と考えるが,動物倫理については,十分な配慮が必要となろう。脳の高度に発達し,したがって薬物の感受性が極めてヒトに近いアカゲザルのこの方法により,ヒトでの薬物乱用の背後にある薬物依存の問題が科学的に格段と解明された。薬物乱用は,個人的にも社会的にも極めて深刻な問題である。アカゲザルのこの方法により,新規化合物のヒトでの精神依存性の有無やその程度をラットなどよりはるかに的確に予測できる。ここで得られた妥当性の高い科学的事実は,ヒトでの薬物乱用防止目的を持って,薬物使用に関する法的規制などを定める上で重要な科学的実験的データとして利用されている。米国医薬品食品庁( FDA )なども,サル類を用いた薬物静脈内自己投与法は,医薬品の依存性評価に関して最も妥当性の高い評価方法とみなし,薬物依存性評価には,現在実施されうるもっとも科学的に妥当性の高い評価法を選択すべきとしていた。

 

なお,この方法を,米国ミシガン大学で開発した柳田知司博士(1930〜2016)は,帰国後に前臨床医学研究所を開設し,当時は,この研究所が,日本および世界の薬物依存研究の中心拠点のひとつとなっていた 。

 

上記アカゲザル薬物静脈内自己投与実験の写真は,Psychobiology: The Biological Bases of Behavior, Animal Behaviour, Readings from Scientific American, 1966, W.H. Freeman & Company から。 

 

 

下記の WEB サイト参照。

sites.google.com

 

 

sites.google.com



Denau G, Yanagita T, Seevers M (1969) Self-administration of psychoactive substances by the monkey. Psychopharmacologia,  16 (1): 30-48.http://dx.doi.org/10.1007/BF00405254

 

安東潔,川口武,河上喜之,柳田知司 (1993)    LY170053 のアカゲザルおよびラットにおける薬物依存性試験。実中研・前臨床研究報, 19 (2) :73-92.LY170053: Olanzapine or Zyplexa ;  非定型抗精神病薬双極性障害治療薬,制吐剤。
安東潔,川口武 (1997)    SM-9018 のアカゲザルおよびラットにおける薬物依存性試験。基礎と臨床, 31 (2): 321-341.SM-9018:Perospiron, 抗精神病薬

 

なお,上記の処置された実験動物の画像については,下記の「4. 動物実験の倫理」 をご参照ください。

 
 

2.8.  アカゲザルシガレット煙自発喫煙行動

 

 

 

個別飼育ケージ内でアカゲザルがシガレット煙を自発摂取する行動を形成した。最初は,金属パイプ吸引行動をジュースにより誘導した。次に,徐々にシガレット煙にすり替えてゆくと,最終的には,ジュース無しで,シガレット煙に対する自発喫煙行動が形成された。自発喫煙装置としては,サルがパイプを吸うと,その吸引を感知してシガレットが自動点火され,サルが連日24時間の任意の時点で,いつでもシガレット煙を自発吸入できる仕組みとした。このようなサルの自発喫煙行動観察により,喫煙行動の維持要因がシガレット煙中のニコチンであることや,喫煙行動に及ぼす各種の環境要因が実験的に明らにされた(写真は,著者らの実験から)。


Ando K, Yanagita T (1981) Cigarette smoking in rhesus monkeys. Psychopharmacology (Berl), 72 (2): 117-1127.DOI: 10.1007/BF00431644 

 

Ando K, Hironaka N, Yanagita T (1986) Development of cigarette smoking in rhesus monkeys. In Harris, LS., ed. Problems of Drug Dependence 1985.National Institute on Drug Abuse Research Monograph 67: DHHS Pub. No. (ADM) 86-1448. Washington, DC: Supt. of Docs., U.S. Govt. Print. Off., 1986. pp. 147-153.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/3092061/


上記 WEB サイト 薬物依存の概念 &  薬物依存の行動解析 参照。



上記の実験動物の画像については,下記の「4. 動物実験の倫理」 をご参照ください。

 

 

 

3. 学習行動の成立原理

 

まず,行動(反応)には,偶発的に起こる自発反応と,刺激に誘発される反応(誘発反応/誘発反射)が存在する。これらは,いずれも生得的なものである。それを踏まえて,学習行動には,オペラント 行動とレスポンデント行動の2種類が存在する。オペラント行動は,自発反応からスタートした学習行動である。一方,レスポンデント行動は,刺激に誘発された反応からスタートした学習行動である。生体の学習行動は,これらの側面から,分類あるいは分解して,行動の全体像を把握できると考えている。

上記 WEBサイト 薬物依存と行動解析 参照。
 
 
 
 

4. 動物実験の倫理

 

 
実験動物を利用した研究には,明確な科学的あるいは医学的目的があり,動物倫理に配慮した条件下での実験実施が前提です。現在,わが国では「動物の愛護及び管理に関する法律」に基づいた動物実験の実施が求められています。その精神は,上図のような 3 R の原則に準拠したものです。すなわち,Reduction (使用する動物数を可能な限り減らす),Replacement (できることなら生きた動物は使用せず,細胞など他の方法で代替する),Refinement (動物に与える苦痛などを最小限にとどめる)です。このような条件下で,実際に研究が実施されるか否かについては,それぞれの施設の責任において,研究計画書について動物実験倫理委員会などでの厳しい審査が行われます。動物実験は,このような審査を経て,施設で承認されたものについてのみ実施されなければなりません。
 
ここに至るまでには,永い道のりがあり,過去にはとても容認できない動物実験が存在していたことも事実です。 B. F. Skinner が実施してきたオペラント行動に関する研究については,主として餌などの正強化刺激を用いてきました。学習行動を形成するには,負強化刺激である電気ショックなどに対する回避学習行動の形成などもあります。Skinner は,一貫して,ヒトを教育するには,負強化刺激ではなく,正強化刺激を用いるべきであると主張してきました。彼は正強化刺激のみで成り立つ理想社会について,Walden 2 という小説も執筆しました。
 
上記に記載した脳内自己刺激実験については,動物の脳内に電極を植え込むなどの外科的処置を行います。しかし,この実験に基づく研究により,脳内には報酬系という部位が存在することが明らかになりました。このことは,脳の仕組みを解き明かす上で,極めて重要な意義があります。また,薬物静脈内自己投与実験については,人における医薬品や薬物の依存性を評価する上で極めて重要な実験です。この実験に基づく研究成果は,依存性薬物のヒトでの使用制限規定などを定める科学的根拠を与えてくれます。これにより,社会で薬物が乱用される歯止めに大きな役割を果たしています。とくに,上記 WEBサイトの 薬物依存の概念 のページ内「7.7.  薬物依存症と薬物乱用社会の過酷な現実」をご参照いただければ,薬物依存に関する的を得た基礎研究は,他のいくつかのとるべき対策同様に喫緊の課題であることをご理解いただけると思います。また,サルでの喫煙行動実験については,ヒト同様の自発喫煙行動を実験動物に形成しました。これにより,喫煙行動の維持要因を科学的に探索し,禁煙などの治療に資する科学的データを提供した意義があり,動物実験を実施した明確な理由が存在したと考えています。

北米神経科学会 Society for Neuroscience (SfN )

g-links's blog

本ブログは,WEBサイト 神経行動解析リンクス (Neurobehavioral Links)

https://sites.google.com/view/behavior100/

の内容に基づいています。

 

北米神経科学会

Society for Neuroscience

(SfN )

 

SfN 開催地のひとつシカゴ市

SfN の学術年会は,近年,米国東海岸の Washington D.C. と西海岸の San Diego市,そして中西部の Chicago 市で順繰りに開催されている。そのうちの Chicago市は,歴史的にも現在においても,金融,商業,流通,交通,文化の中心拠点のひとつである。ここは,米国において,New York 市と Los Angels市に次ぐ人口を擁する大都市である。この地には, The University of Chicago があり,ここから多くのノーベル賞受賞学者が輩出されている。

 

SfN  ポスター会場

Chicago市で開催された SfN 2015 のポスター会場。会期でのポスター発表に限った総数は,16,011件とカウントされ,これは例年並みの数である(上記写真は,いずれも著者撮影)。

 

 

1.  SfN について

 

北米神経科学会 (Society for Neuroscience : SfN) の第1回学術年会は,1971 年に Washington D.C. で開催された。この時の参加者数は,1,400名と記録されている。近年では毎年,2ないし3万人もの脳・神経科学に関わりを持つ研究者,臨床家,教育者,行政担当者,実験機器/材料関係者,学術誌出版関係者などが,この年会に世界から参集している。年を経た SfN の参加者数の増加は,そのまま脳・神経科学研究の発展とその研究に対する世界的注目を反映している。

 

図1には,第1回開催の SfN1971 から, SfN2019 までの参加者数の経年的変化を示した。開催当初は,脳・神経科学に関する研究者も現在に比べて少なかったが,この分野の研究発展に伴って,SfN年会参加者も増加の一途を辿った。むしろ,SfNそれ自身が,フィードバック機能を果たして,脳・神経科学研究の発展に貢献した部分もあるといえよう。2,005年の Washington DC で開催された SfN 学術年会の合計参加者数は,34,815名となり,これが現在のところピークである。その後は,2 ないし3万人代の参加者を維持し続けたが,2020年には,COVID19 パンデミックにより,学術年会は中止となった。

 

SfN2

 

図1 SfN の第1回学術年会は,1971年に Washington DC で開催された。この図には,そこからの年会参加者総数の経年的変化を示した。 Scientific Attendance は,学術的目的を持った参加者である。この参加者数が増加するにつれて,そこにビジネスチャンスを見出して,科学実験機器/材料関係者や学術誌出版関係者などの参加と出品が増え,Total Attendance の数も増加した。2,021年以降の参加者数については,データが入手でき次第追加予定。本グラフのデータの出典は,下記 URL による。

 

SfN Attendance Number (第1回のSfN1971から SfN2012まで)

https://www.sfn.org/sfn/amstats/amstatsgraph.html

 

同 (SfN2009からSfN2019まで)

https://www.sfn.org/meetings/attendance-statistics

 

 

SfN2020 の COVIC19 パンデミックによる中止のあと,SfN は,virtual 参加も含めたかたちで,2021年から再開された。脳・神経科学研究の発展の指標ともいえる SfN 学術年会の参加者数が今後どうなるかは興味深いところである。とりわけ,米国における G.H. Bush大統領の The Decade of the Brain (1990年-1999年) 構想に引き続き,2014年,B.H. Obama 大統領の BRAIN (Brain Research through Advancing Innovative Neurotechnologies)構想により,米国の脳・神経科学研究には,莫大な国家予算が注ぎ込まれた。現在は,その成果が問われる段階に至っていると思う。

 

Society for Neuroscience (SfN) は,わが国では「北米神経科学会」と翻訳されている。学会に参加してみると多くの国からの参加者があり,国際学会の様相を呈している。しかし,近年の開催地は,巨大コンベンションセンターのある Washington DC, Chicago, San Diego など米国の主要都市に限られている。そこで,「米国神経科学会」と翻訳しない理由としては,1976年と 1988年には,カナダの Toronto 市でも SfN 年会が開催された。カナダは,米国同様に脳・神経科学研究が盛んであり,北米地区の両国はボーダレスに大学研究機関の学問的交流がある。現在は,カナダの都市にも大きなコンベンションセンターがあるが,最近はもっぱら米国内の3都市での開催となった。ちなみに,上記を除くこれまでの SfN開催地は,New Orleans, Atlanta, Orland, Miami Beach, Anaheim, St Louis, Phoenix, Dallas, Boston, Minneapolis, Los Angeles, Cincinnati, Houston, New York であった。

 

しかし,近年の様に2ないし3万人代もの参加者になると,Washington D.C., Chicago, San Diego での巨大コンベンションセンターの開催実績が常態化し,それが多くの参加者による年会のスムースな運営を維持できる条件と感じている。北米在住の神経科学者にとっては,東海岸,中西部,西海岸と順繰りになると,地域的公平性も保たれるであろう。もし,SfNを国際学会にして,さまざまな国での開催にすると,これだけの巨大集会運営のノウハウが継承,蓄積されにくいと思う。また,国によっては,学術年会にお祭りの要素を過剰に加えたり,権威づけにも利用したりして,本来の学問研究交流の実質的内容が損なわれる可能性が否定できないと考える。巨大ビルを構えた Washington D.C. にある SfN ヘッドコーターのオーガナイザーは,会の運営を米国流の実利的,効率的システムの実践にこだわっている様に感じた。また,そこにはビジネスとしての視点も加え,これが結果的に,脳・神経科学の研究発展とその知識の国民への普及に資するとの考えに立脚していると思う。そのために,米国を開催拠点とした国際的な脳・神経科学研究集会となったととらえている。もちろん,世界の脳・神経科学研究者を惹きつけるために,プログラム委員や講演者などには,国際的バランスの配慮が窺い知れる。

 

SfN の特筆すべき運営ノウハウの一つに,数日にわたる 開催期間中の 1万数千件におよぶ研究発表を,デジタルシステムにより,整理し,管理してあることが挙げられる。このシステムでは,研究標題,著者名,所属機関,発表要旨,発表日程と時間,発表会場などに関する情報が極めて容易に検索できる。それゆえ,自分の興味にそった毎日のスケジュールを組み立て,効率的に学術情報に触れられる。2,000年初頭には,参加者がラップトップコンピュータを会場に持ち込み,無数の発表スケジュールから,自分の聴くべき発表会場に出向いてゆくことができた。会場内には,至る所にデスクトップパソコンもあり,多くの参加者がそれも利用することができた。このあと,iPhoneiPad などの普及の波が押し寄せ,WiFi  環境下において,これらと連携しながら,各研究者が広大な会場で膨大な数の研究発表を,極めて効率的に視聴できるようになった。

 

これは,カーナビゲーションによる自動車運転で,その都度,それぞれの目的地に,極めて容易に到達できることになぞらえられよう。会期が終了しても,発表 Abstracts は,過去のものを含めてネット上で,検索でき,発表内容についての調査分析が可能である。なお,SfN に参加し,その運営をつぶさに観察すると,学術集会は,本来どうあるべきかについてのさまざまな示唆を与えてくれると感じた。すなわち,これだけ巨大な学術年会に接すると,個人の存在は埋もれ,その分,学問研究の巨大な渦を間近にみることがでる。そこで,自分が,どのような立ち位置で,どのような自分らしい研究をすべきかについての認識を強く迫られる。学問研究は,本来そのような状況認識の中でこそ進めるべきと感じた。

 

著者は,2,000年初頭から2,015年まで,基本的には毎年 SfN 学術年会に参加してきた。今となっては随分と古くなったが,Chicago 市で開催された SfN2015 に参加した折の報告書に,新たな調査分析結果を加え,その内容をここに掲載した。SfN2015 は McCormick Place Convention Center で,多数の研究発表があり,参加者総数も含めて世界最大規模の学術年会となっている。ちなみに,この時の参加者総数は,78ヶ国からの 29,002名と掲示されていた(図2)。講演、シンポジウム、一般口演,同ポスターすべてを含めた5日間の発表総数も例年並みであり,そのうちのポスター発表は正確には,16,011件とカウントされていた。

 

図2  SfN2015における参加者数の内訳(著者撮影)。この掲示は,広い会場内の仮設ヘッドクオーター付近に,毎日表データが示されていた。最終日には,78ヶ国から 29,002名の参加者総数がカウントされていた。

 

2.  研究報告に関する全般的傾向

 

SfN学術年会の Abstractsなどの発表内容について,WEB上で検索した。現在のところ,SfN2020を除いて,SfN2006 から SfN2022 までが検索可能である。そこで,発表 Abstracts についての用語検索から,年毎の研究内容の推移につて調査分析した。

 

検索方法については,SfN の年度により,2種類のものが混在するが,基本的には検索結果に大きな差異はないと判断した。検索は,Key Words ではなく,Abstract Body (アブストラクトの内容)について,特定の用語の存在の有無について検索した。毎年の学術年会のすべての発表には,講演,シンポジウム,一般発表(口演あるいはポスター)などが存在するが,これらについて区別なく検索した。年毎の推移をみるために重要なことは,検索の日数は,5日間の SfN年会のみならず,その前後にあるSfN公認サテライトシンポジウムも含めた。そのために,検索範囲をサテライトシンポジウムの日程も含めて指定した。また,Sessions ではなく,個別の発表についての Presentations 条件を設定することとした。すでに図1に示したように, SfN学術年会の参加者数については,検索対象の 2006年からは,年毎に極端な違いはなく,従って,総発表件数も経年的にある程度一定範囲内と仮定した。この前提があってこそ,さまざまな検索結果の用語の経年的増減に関する傾向を述べることができると考えた。以上の検索方法については,以下に記載したその他の用語に基づく経年的傾向分析についても同様とした。

 

まず,全般的傾向として SfN の発表には,伝統的に脳・神経に関する行動学的,生理学的,生化学的,分子生物学的,遺伝子解析学的研究が基盤として存在している。これらを踏まえた上での神経精神疾患関連の臨床研究と前臨床医学研究(非臨床研究)と神経精神疾患に関する基礎研究の報告が多数ある。ただし,神経精神疾患研究以外の脳の仕組みに関する基礎研究は,そもそもの会のスタート時点からの中心的かつ中核課題であったことは述べておく必要があろう。

 

 図3 には,SfN の全Abstract Body について,方法論に関する用語の検索を行った。まず,臨床研究 (Clinical) と前臨床研究あるいは非臨床研究 (Preclinical or Nonclinical) について経年的変化を記載した。次に,行動学的 (Behavioral),生理学的 (Physiological),生化学的 (Biochemical),薬理学的 (Pharmacological),病理学的 (Pathological),遺伝子学的 (Genetic) 事項の用語の存在について記載した。 近年は,SfN 年会で臨床研究と前臨床研究(非臨床研究)に経年的増加がみられた。この図でに示されるように,行動的用語は最も多く,経年的にも増加傾向がみられる。その他には,生理学的,生化学的,薬理学的,病理学的,遺伝子的用語の変化が示されている。

 

Abstract 検索方法については,SfN Past and Future Annual Meetings によった(下記 URL 参照)。現在のところ,開催中止となった SfN2020 を除いて,SfN 2006 から SfN 2022 までの検索ができる。検索法の詳細については,図3の説明を参照されたい。

https://www.sfn.org/meetings/past-and-future-annual-meetings

 

 

図3 SfN の全Abstract Body について,方法論に関する用語検索を行った。まず,臨床研究 (Clinical) と前臨床研究 (Preclinical)  あるいは非臨床研究 (Nonclinical) について記載した。次に,行動学的 (Behavioral),生理学的 (Physiological),生化学的 (Biochemical),薬理学的 (Pharmacological),病理学的 (Pathological),遺伝子的事項 (Genetic) の用語の存在について記載した。

 

 

検索対象となった Abstracts には,特別講演もあれば,シンポジウムもあり,さらには一般発表(口演とポスター)も含まれている。また,SfNの5日間の年会発表のみならず,その前後にあるSfN公認サテライトシンポジウムの Abstracts も含まれている。なお,当日,発表がキャンセルになったものも含まれている場合がある。

Abstract 検索方法については,SfN Past and Future Annual Meetings によった(下記 URL 参照)。

https://www.sfn.org/meetings/past-and-future-annual-meetings

 

現在のところ,WEB上での検索は,開催中止となった SfN2020 を除いて,SfN2006 から SfN2022 までが可能である。これの検索の注意点としては,SfN の年度により,2種類の検索法が混在すること,検索対象は,Key Words 検索ではなく,Abstract Body 中の Words 検索にすること,Sessions ではなく,Presentations を検索条件として選択すること,検索の日数範囲をサテライトシンポジウムの日程も含めて指定することなどが挙げられる。以上の検索方法については,以下に記載した他の図の検索についても同様に当てはまる。

 

次に,神経精神疾患のうちいくつかの病名についての経年的変化について検索した。神経精神疾患関連研究には,前述の通り臨床研究と前臨床(非臨床)医学研究あるいは疾患に関する基礎研究がある。これらを含めた検索結果としての発表件数を疾患名ごとに図4に示した。臨床研究は,患者に関する治験などを含む。一方,前臨床研究とは,基礎研究の成果を踏まえた動物疾患モデルなどにより,薬物投与や細胞移植などの治療法の効果について検索するなどについてである。

 

神経疾患に分類されるアルツハイマー病 (Alzheimer OR Alzheimer’s)とパーキンソン病 (Parkinson OR Parkinson’s) の発表件数は,いずれの年度も多い。ハンチントン病 (Huntington OR Huntington’s) と ALS (Amyotrophic Lateral Sclerosis) は,それぞれの神経機構が明らかにされつつあるが,先の2疾患に比べて発表件数は少ない。てんかん (Epilepsy) は,その患者数も多く,深刻な疾患であるためか,経年的に発表件数が,増加傾向にある。脳梗塞 (Infarct) も患者数の多い重要な研究ターゲットではあるが,SfNでは,発表件数に経年的減少がみられる。この疾患は,SfNではなく,むしろ脳神経外科学系の学会などでの発表が主なのであろう。

 

精神疾患のうち,うつ病 (Depression),統合失調症 (Schizophrenia),不安神経症 (Anxiety) は,経年的に発表件数が多い。特筆すべきは,依存あるいは嗜癖 (Dependence OR Addiction) に関する研究の多さとその経年的増加である。これには,薬物依存以外にもギャンブル依存やゲーム依存なども含まれていると思われるが,薬物依存がメインであろう。薬物依存は,薬物乱用に至る最も深刻な課題であり,個人の問題を超えて社会全体が崩壊するリスクを抱えている。それゆえ,米国では,薬物依存研究には多額の研究費が投入されている。その研究のメインの発表場所は,The College on Problems of Drug Dependence (CPDD) などであるが,SfNのような脳・神経科学を包括する広い視野に触れられる場所でも研究発表がなされている。

 

 近年,注目されている発達障碍(発達変異)についても数多くの研究があり,この傾向は,自閉症(Autism) 研究の経年的増加にみて取れる。ADHD (Attention Deficit Hyperactive Disorder) も発達変異の一つであるが,こちらの方には,本検索法による限り,顕著な経年的増加は見られていない。

 

 

図4 神経精神疾患のうちいくつかの病名の経年的傾向について検索した。 

 

 

次に、研究にはどのような実験動物が用いられているかを検索した(図5)。あくまで、Abstracts の文章中に出現する単語による検索となるが,マウス (Mouse OR Mice) が経年的に増加傾向にある。一方,ラット (Rat OR Rats) は,経年的に明らかな減少がみられた。サル類 (Monkey OR Monkeys) を全体としてみると,遺伝子改変 (Transgenic) 動物同様に,発表件数としては,齧歯類に比べて相対的に少なく,経年的には大きな変化はみられていない。

 

図5 SfN の全 Abstract Body について,どの実験動物が使用されているかを検索した。マウス,ラット,サル類,遺伝子改変動物の経年的利用傾向が読み取れる。

 

 

ところで,研究に利用された実験動物のうちサル類に絞ってみると,その内訳はどうなるであろうか?大型のマカク属サルの代表であり,永年この領域のエース的存在であったアカゲザル (Rhesus Monkey) の利用が多い(図6)。カニクイザル (Cynomolgus Monkey) については,その発表件数は多くはない。このサルは,もともと薬物の安全性試験などで多数利用されており,脳に関する研究で積極的にこれを利用するメリットは,アカゲザルほどにはないと感じている。ニホンザル (Japanese Monkey) は,SfN では日本からの研究があり,社会行動や知能,脳生理学,行動などについて詳細な研究があるが,全体からみるとその数は極めて少ない。バブーン(ヒヒ) (Baboon) やリスザル (Squirrel Monkey) も,それを利用できる一部の施設で一部の研究者が利用しているようである。一方,マーモセット (Marmoset) の利用は,経年的に増加傾向にあることは明らかであろう。

 

 

図6  SfN の研究発表において,どのようなサル類が利用されているかについて,Abstract Body 内の用語検索を行った。アカゲザル (Rhesus Monkey),カニクイザル (Cynomolgus Monkey),ニホンザル (Japanese Monkey),バブーン(ヒヒ)(Baboon),リスザル (Squirell Monkey),マーモセット (Marmoset) の経年的利用傾向を示した。

 

 

3.  マーモセット利用の研究動向

 

上記のように,マーモセットを用いた脳・神経科学研究は,近年のこの学術年会でも注目すべきことの一つと考えられる。そこで,この流れを,著者が SfN に参加し始めた 2000年から調べてみると,現在のマーモセット利用による研究件数は, 当初と比べておおよそ 10倍を超える年度があった(図7)。このことは,他のサル類の利用に明らかな増加がみられていないことを考えると極めて興味深い。

 

図7  SfN の全 Abstract Body について,マーモセットの経年的利用傾向を示した。基本的には,図6 のマーモセットの部分と同じであるが,以前に検索した SfN2000 から 同2005 のデータも加えた。

 

上記の様に,マーモセットの利用が注目されることから,さらに国別にマーモセットを用いた研究発表の経年的傾向について調べた(図8)。この調査では,Abstract Body 内に marmoset あるいは marmosets という単語が存在した場合に,その発表の筆頭著者の所属する研究機関の所在国名で分類した。その結果,2015年度の総数は64件あり,うち米国(31件),日本(14件),オーストラリア(9件)となっていた。ヨーロッパでは,かつての英国が減少し,その他の国もあまりふるわない。マーモセットの出生原産国ブラジルが少し目立ってきている。以上のカウントには,発表当日キャンセルになったもの,実際にはマーモセットを利用していなくても,Abstract Body 中に marmoset (s) の用語があるだけの場合も含まれている。

 

図8 マーモセット利用研究機関の国別経年的傾向。

 

一方,SfN2015 において,マーモセットを用いた研究をトピックス別に調べてみると,脳内の神経ネットワークに関するものが多いのは,この学会の性質上当然と考えられる(図9)。聴覚生理,視覚生理や vocalization に関するトピックスはマーモセットの特性を良く利用していると感じられた。行動は様々なものがここに分類されてしまうために,この分類に意味を持たせることが難しいかもしれない。その他のトピックスは,ほぼ例年通りである。マーモセットにも 2光子レーザー顕微鏡や Ca2+イメージング,オプトジェネテイックスなどの手法が急激に用いられ始めた。遺伝子改変マーモセットについても複数の施設からの報告があった。

 

図9 SfN2015 のマーモセット利用研究のトピックス別傾向。

 

4.  SfN2015  マーモセット利用研究動向の考察

 

1)  脳・神経・疾患に関する研究において,マーモセットの利用は年毎に増加傾向を示し,米国,日本,オーストラリアが研究の主要国となっている。

 

2)  ラットやマウスで培った最新の技術(例: two-photon imaging) は,素早くマーモセットでの研究に導入されるようになった。

 

3)  報告の中には,とりあえず新技術をマーモセットに導入したというものの他に,その技術を用いて,脳に関する重要な知見を得たというものがあった。しかし,後者は論文のかたちで発表するまで,SfN の発表には肝心で詳細な部分を伏せてあることが窺い知れた。

 

4)  遺伝子改変技術の導入については,幾つかの研究施設からの報告があり,多くは経過状況についてのものであった。これについても本格的成果内容は,論文のかたちでいずれ発表されるものと推測した。

 

5)  ヒト神経精神疾患遺伝子のマーモセットへの導入の試みについては,神経変性と症候発現をマーモセットで明確に把握測定できる目処の存在が重要と考えた。とりあえず,遺伝子を導入すれば,何らかの神経変性や行動変化がみられるであろうという論理が正当化されると,夥しい人的,財政的,施設的,時間的リソースを費やす研究が増えると思う。これは,限られた研究予算を有効に活用する視点からみても,生産的とはいえない場合も存在すると考えている。

 

6)  一方,たとえば ,米国 National Institute of Health (NIH) で開発中の Ca (GCaMP)遺伝子導入研究は,少数のマーモセットにそれがたまたま発現したとしても,それを利用して脳の神経活動をとらえうる意義深いモデルと考えた。しかし,それには Ca++  が 単に末梢臓器に発現しただけではなく,脳に発現することが条件となるが,この点はどうなのであろうか。

 

7)  マーモセットを用いた疾患妥当性の高い前臨床研究については,神経毒投与パーキンソン病モデル,脊髄損傷モデルなどについての報告があった。多くの精神疾患モデルについては,より妥当性の高い実用性モデルへの構築が試みられていた。また,安全性試験領域のマーモセット利用も報告されていた(ex. 視覚毒性,聴覚毒性なども含めて)。このような領域こそ,今後の利用に大きな期待が寄せられると考えた。

 

5.  SfN 参加体験から読み解く学会活動の

重要性とその先に存在するゴール

 

研究者にとっての学会参加は,極めて重要である。その理由は,自身の研究発表に対する反応や批判を謙虚に受け止め,自身の研究を向上させることができるからである。また,そこでの他人の研究発表については,その内容を理解把握したうえで,その問題点をとらえて,それを相手に丁寧に指摘する技術の習得もできる。それによって,自身の研究発表での表現力向上に役立つ場合があるし,その学会全体の学問的水準向上にわずかでも貢献できるかもしれない。

 

わが国の学会によっては,歴史と伝統ある日本社会に存在していることから,相手の研究発表の問題点を率直に切り込む文化が薄い場合もあるようにも感じてきた。米国の学会では,手厳しく問題点を指摘し,批判することが普通であった。もちろん,相手の自尊心まで傷つけてはいけない。しかし,深い切り込みによる本質的議論をする文化的背景があってこそ,科学研究は発展すると考えている。

 

上記理由により,学会参加や学会活動は極めて重要と考えるが,これらの位置付けは,それ自体にはないと考えるに至った。すなわち,研究の最終ゴールは,自身の実施した研究を論文のかたちにまとめ上げ,公表することにあると思う。多くの歴史上に残る研究成果は,学会で素晴らしい発表をしたことにではなく,論文のかたちで公表してあるからに他ならない。ガリレオニュートン,メンデルなどの研究成果は,すべて論文のかたちに残されたものだと思っている。学術出版社の Elsevier社 の前身などは,何世紀も前に,歴史に残る研究を出版してきた。個人の研究内容がたとえ小さな断片であったとしても,研究を論文にまとめ上げることが,研究の最終ゴールと考えている。

 
学会参加の個人的体験

著者は,Society for Neuroscience (SfN) の学術年会に毎年参加するようになって,学会参加や学会での発表に,どのような意味が存在するのかについて,深く考えるようになった。SfN の内容については,上記の 「5.1. SfN について」 に述べた。

 

著者は,研究者としての駆け出しの頃,国内にある二つの学会の会員となり,そこでの学会参加や発表などの経験をすることができた。それら学会によって,自身は随分と育ててもらったと考えている。

 

日本薬理学会:その二つの学会の一つは,日本薬理学会である。本学会は,1927年創立で,現在の会員数は,3,800名である。その活動としては,日本薬理学雑誌(和文/年6回)とJournal of Pharmacological Sciences(英文/年12回)の出版がある。一方,学術集会としては,年1回の学術年会(総会)と地方部会がある。この部会には,北部会,関東部会,近畿部会,西南部会があり,それぞれが,春と秋に2回学術集会を開催している。

 

薬理学会は,薬理学教室をもつ,全国の大学の教室やその他の研究機関からの参加や活動がある。大学薬理学教室には,医学部薬理,薬学部薬理,歯学部薬理,獣医学部薬理あるいは毒性薬理などがある。薬理学会の年会及び地方部会は,主として,これらの教室の教授が会長となって,たびたび開催されてきた。

 

上記の大学や研究機関などとは別に,製薬企業の創薬に携わる研究所などからの会員参加も極めて多い。製薬企業の研究者は,基礎研究以外には,実際に自分たちで得た立派な研究成果も,大学ほど自由には学会発表できない場合があるようだ。学会は,情報収集のチャンスととらえて活用している場合もあると聞いている。しかし,薬理学会としては,製薬企業の積極的参加なしには,運営が難しく,学会の役員や委員などには,製薬企業の研究者の積極的参加が増えるようになった。

 

この学会において,年1回の学術年会と春秋の年2回の地方部会には,参加する自由も,参加しない自由も存在する。しかし,会長から,それぞれの薬理学教室に対して発表と参加を求められるとすると,学会発表の準備に忙しく,論文をまとめ上げる時間が制限される場合もあるかと思う。歴史的には,このような多数回の学会は,わが国の薬理学水準を向上させるために,役だったであろう。しかしながら,現在は,他にも様々な学会があり,学会参加に振り回されるのは研究者にとって,本意ではないと考える様になった。著者は,随分と前に,年1回の学術年会の他に,年2回の地方部会は,多すぎないかと私的に述べたことがある。これに対して,学会の会長になりたい人が多く,したがって学会の会長になれるチャンスは,多い方が良いとの話を聞いたことがある。学会が,参加者のために存在するのではなく,学会開催者側の論理で運営されていることにびっくりしたことがある。現在は,この状況はすっかりと変わってきたと思う。学会は,参加者の学問的,知的,実利的ニーズを充足させてこそのものであり,研究レベルの向上を最重要課題としなければ存続できないと考えてきた。一方,学会は,若い会員たちの教育の場という役割が重要といえよう。そこで,教育の場が多数あって何がわるいのかという議論もあろう。しかし,若い会員には,もし研究をするのであれば,学会参加発表で忙殺されるより,それぞれが実施した研究の内容を論文にまとめあげて,学術誌に公表することの重要性も指導した方が良いように感じてきた。もちろん学位論文審査などは,国際学術誌での論文公表が条件とされている場合が多いので,そのような流れはすでに存在しているとは思う。

 

日本神経精神薬理学会: 著者が参加していたもう一つの国内学会は,日本神経精神薬理学会である。先の日本薬理学会は,著者が参加し始めた頃には,すでに学会として立派に成熟した組織となっていた。これに反して,ここで述べる日本神経精神薬理学会は,その会の誕生から,青年期,そして壮年期に至るまでを会員として見届けてきた。すなわち,その過程の中で,本学会は,最初は精神薬理談話会,精神薬理研究会,そして現在の日本神経精神薬理学会となった。

 

この会は,1971年に第1回精神薬理談話会が開催された。設⽴のきっかけとなった当時の状況として,抗結核薬イプロナイアジッドがうつ病に,抗ヒスタミン薬として開発されたクロルプロマジン統合失調症に,また染料を⽬的とした化合物創出過程からのクロルジアゼポキサイドが不安神経症に,それぞれ臨床適⽤されたことが挙げられる。当時の精神科医たちは,上記の治療薬とそれぞれをベースにして新しく開発された誘導体の開発導入により,精神疾患治療に大きな期待と夢を馳せていたと思う。また,製薬企業においても,身体疾患に関する研究がメインであった段階から,中枢神経薬開発研究にも弾みがついてきた。そこで,中枢神経薬理学領域には,電気⽣理学,⽣化学,⾏動科学などの知⾒や技術が導⼊されはじめた。このような状況にあって,本学会には当初から精神科医,中枢神経に関する基礎研究者,製薬企業の創薬開発に携わる研究者などの参加があり,そこには熱気あふれた新たな融合が生まれ,これが本学会創設ならびに運営の中核的コンセプトとなった。この学会の歴史については,著者がすでに「JSNP(日本神経精神薬理学会)の50年を思う」という特集の中に,「日本神経精神薬理学会:どこから,どこへ」に記載した  (下記URL参照)。

https://www.jsnp-org.jp/about/img/JSNP50_memorialmagazine_03.pdf

 

日本神経精神薬理学会は,奇しくも,北米神経科学会(SfN) と同じ年齢であり,それぞれの第1回集会は,1971年であった。現在の日本神経精神薬理学会は,会員数 1,800名で,年1回の学術集会があり,オープンアクセス機関紙 Neuropsychopharmacology Reports (NPPR)を発行している。

 

当初は,数十名程度の参加に過ぎなかった学術集会も,現在は多数の参加者からなる集会を毎年開催している。近年,この集会も,他の類似の学会との共催でおこなうことが多く,参加者数としては活況を呈しているようである。しかし,他学会との共同開催により,当学会の発足時のコンセプトが,だんだんと薄まってゆくのではないかとも感じている。学術集会は多人数参加により,大きく会を開催しなければならないという原則はないと思っている。大規模な学術集会は,SfN のような国際学会にまかせておけばよく,それよりは,学会の発足のコンセプトとなった神経精神疾患に関する臨床,基礎,医薬品開発の研究融合を中核にすえた活動が重要と考えている。多人数の参加を企図するために,学会名が類似の他学会との合同開催を繰り返してゆくと,当学会の本来の固有コンセプトが希薄になるかもしれない。一方,学会は,それぞれの時代に適合したかたちで,発展するわけだから,どのようなかたちであれ,学会の在り方の変遷は,一つの歴史的事実と捉えてゆくことも必要であろう。しかし,学会が創設されるに至った中核的コンセプトと参加者の学問的,知的,実利的ニーズを優先させるかたちをとらなければ,どのような学会組織も,さらなる発展は難しいと考えている。



国内学会と北米神経科学会(SfN)

国内学会には,それぞれ特徴があり,なにより日本国内での開催という時間的,経費的,言語的利点などが存在する。一方,SfNなどの国際学会参加は,国内の場合に比べて,参加費,抄録掲載料,宿泊費,渡航費などに高額な費用がかかる。為替変動による円安で近年は特にこのことが大きな問題となってきた。

 

しかし,SfNには,国内学会参加では得られない大きなメリットが存在する。その一つは,世界最大規模にして,世界最先端の研究とそれを実施している研究者に直接触れることができる。このようなことは,研究者が,自身の研究を発展させる上で極めて重要である。世界規模でみると,自分と同じような学問的興味を持ち,同じような研究を実施している人たちの存在に気付かされ,それらの人たちとの会話は,極めて有意義である。

 

また,国内学会では見られない斬新な学術集会運営のノウハウを目の当たりにして,学術集会とはいかにあるべきかを学ぶことができる。国内学会では,毎年参加すると親しい人間関係のネットワークが形成され,これは共同研究や就業などに役立つ場合もある。海外の学会参加でも,共同研究や留学などのためのコンタクトの機会はあるとは思うが,国内学会で築き上げるほどの濃密にして長続きする人間関係は,一般的には容易ではないと思う。学会運営のノウハウについては,SfN の膨大な参加者や発表や交流をデジタルシステムで管理するノウハウなどに眼を見張るところがある。また,参加者が,その学会で名を売ろうとしても,トップクラスの研究者はともかく,通常は,国内学会ほどには成功はしない。著者の留学先の米国の大学教授たちは,学会活動そのものには,あまり関心はなく,学会の役員などは,早々と若い世代にゆずっていた。それよりは,自身の研究活動をもっと発展させたり,学会などよりは,もっと大きな影響力を持つ NIH (National Institute of Health) 組織内機関などで,研究者に研究資金を配分したり,大統領の諮問に応えて国の行政を大きく変えることのできる Director などの地位就任に野心を燃やしているケースをみてきた。



学会参加の先に存在するゴール

世界最大規模にして最先端の研究が発表される SfN への参加は,国内の学術集会参加では得られない利点が多く存在すると述べた。しかしながら,学会参加や学会発表は,研究者にとっての最終ゴールではない。あくまで学会活動をとおして,自身の研究を高め,論文のかたちで自身の研究をまとめ上げることこそ重要であろう。そのような意味において,学会参加活動は,論文発表に繋げる一つのステップであるという考え方も存在すると思う。

 

その理由として,世界中の研究成果は,何世紀にもわたり,公表された論文として蓄積されたいわば知の宝庫に蓄えられている。これは,人類が築き上げたピラミッドに喩えることができよう。このピラミッドは,これからも時代とともにさらに巨大となっていく。人類は,このピラミッドのなかにある優れた科学研究の知見からずいぶんと災厄と同時に恩恵も受けてきた。すべての論文に価値があるとは限らないが,そのような集積としてのピラミッドが存在すること自体に重要な意味がある。自身の研究は,そのようなピラミッドのほんの一つのブロックの破片のようなものだとしても,確実にそのピラミッドの一部ではある。

 

なぜなら,現代のネットワーク技術により,それらのピラミッドの中にある知の財産を如何様にでも検索できるからである。自身の研究がほんの断片であっても,PubMed などで確実に検索でき,決して自身の研究の存在自体はゼロではない。その存在は証明されており,微小ではあっても,ピラミッドの一部分を構成していることがわかる。この巨大ピラミッドの一部を構成することが,論文公表であり,それが,すべての研究のゴールといえる。特に,SfNのような国際的,先端的かつ巨大な集会に参加し,研究を発表すると,そのように強く感じるようになった。SfN での発表そのものは,極端な言い方をすれば,その場限りのものであると感じざるを得ない。論文公表こそが,研究のゴールなのである。

 

以上により,繰り返しとなるが,研究のゴールは,論文公表にある。自戒の念を込めて述べると,人手とコストを費やした研究成果が,論文にまとめられることなく,学会発表のみで終わってしまうのは,研究者自身にとっても,社会的にも大きな損失と考えている。それぞれの研究が,どんなに些細な研究であっても,研究を実施した以上は,論文公表が必須と思う。学会参加や学会発表は,論文をまとめ上げるための重要なプロセスのひとつととらえることができる。