ヒト疾患モデル動物 ― モデル作成とテスト測定実施 についての枠組み ―

本ブログは,WEBサイト 神経行動解析リンクス (Neurobehavioral Links)

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の内容に基づいています。

 

 

ヒト疾患モデル動物

- モデル作成とテスト測定実施

についての枠組み -

 

1.  神経精神疾患モデル動物

 

標記テーマは,薬理学会や神経精神薬理学会などのシンポジウム課題として幾度となく取り挙げられてきた。これら学会において,実験動物を用いた研究には,臨床医療とのリンクが前提とされている。それゆえ,動物モデルを用いて産み出された測定データは,臨床視点からの妥当性と有用性についての厳しい眼差しにさらされる。

 

著者は,永年にわたり,マウス,ラット,マーモセット,カニクイザル,アカゲザルを利用して,様々な神経精神疾患モデルを作成し,研究を進めてきた。これらの中には,多くのリソースを費やしながらも,単なる試行錯誤的内容となり,意義の薄いものがあったのも事実である。しかし,一方で有用性が極めて高い研究も存在していたことを想い起こすことができる。すなわち,マーモセット への 神経毒,1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine (MPTP) 処置 パーキンソン病モデルに関する前臨床医学研究と,もう一つはアカゲザルの薬物静脈内自己投与法による薬物依存研究は,実験動物モデルとしての妥当性と有用性が極めて高い事例として挙げることができる。この二つの例は,実験動物を用いたモデルとは何かを考える上で,とても参考になる。そこで,これらの事例も踏まえて,今後の研究発展の参考となるような動物モデルの骨格を示したいと考えた。動物モデル作成については,その内容が整理され,より妥当性が高く,有用なモデルによる研究が発展することを願っている。

 

なお,上記のシンポジウムなどでは,モデルの作成について強調されることがあったように記憶している。しかし,モデル作成のみならず,それを利用した適切なテスト測定法を選択/実施することも重要と考える。この2側面はワンセットであるが,それぞれ個別の問題が存在していると同時に,両側面を統合した上での問題点も明確に把握しておきたい。表1には,動物モデルの内容を3項目に分けて記載した。

 

表1. 神経精神疾患の動物モデルの作成とそれを用いた測定実施に関する枠組み。ここには,まずは研究の目的と範囲を明確化することの重要性,作成されたモデルの妥当性についての把握,そのモデルを利用したテスト測定実施上の基準について示した。また,いずれのモデルと測定法にも,効用と限界があり,これをきっちり把握することの重要性についても強調しておきたい。

 

 

2.  神経精神疾患・動物モデル作成と

テスト測定実施の目的と範囲

 

疾患モデル動物を作成する場合の研究スター時点において,まずは疾患基礎研究なのか応用研究なのかについての区分を明確にすることが重要となる。その理由は,両者のそれぞれには,研究のゴールと力点の置き方に違いがあるからである。すなわち基礎研究については,徹底的に分析力を駆使し,病態の本質を掘り下げてゆくことが重要であろう。

 

一方,応用研究では,薬物投与,細胞移植,遺伝子操作,外科手術などの前臨床医学レベルでの有効性効果判定がゴールとなる。ここでは,すでに妥当性などが確立した動物モデルを用いて,効果の有無が明確になる測定法を用いることが重要となる。実験実施後の結論としては,1) 動物レベルでは効果がみられた,2) 動物レベルでは効果がみられなかった,3) 今回の実験条件では,はっきりせず,その理由はこれこれであった,のいずれかについて明確に言い切れることが重要である。

 

3.  疾患・動物モデルの病態に関する妥当性

 

次に,研究目的に照らして,どのような病態をターゲットにするかにより,利用モデルの疾患症候,疾患病理あるいは疾患病因のいずれかとの類似性が前提とされる。それを踏まえて,そのモデルの効用と限界を把握しておくことが重要となろう。

 

例として,神経毒 MPTP をサル類の皮下などの末梢に投与したパーキンソン病モデルを挙げてみよう。このモデルでは,持続的な各種運動機能障害などが,ヒトのパーキンソン病の症候に極めて類似している。また,この神経毒の作用部位が,黒質ドーパミン神経にあり,そこでの神経破壊を発現する点でも当該疾患に類似している。すなわち,このモデルには,疾患症候と疾患病理との類似性があるといえる。疾患病因については,ある種化学物質の長期暴露によるパーキンソン病様疾患のモデルとはなりうるかもしれない。しかし,本態性パーキンソン病の病因との類似性について, MPTP投与の場合は限定的となる。パーキンソン病の病因を探るには,家族生パーキンソン病で知られているいくつかの遺伝子をマウスあるいはマーモセットに導入したモデルの確立などが挙げられよう。

 

参照 WEB サイト

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参考文献: 安東潔 (2018) 神経毒MPTP 投与によるコモンマーモセットのパーキンソン病モデル – 行動解析による前臨床評価を中心として –. オベリスク Vol. 23,1:14-22.          https://researchmap.jp/read0179769/published_papers/19447809

 

 

パーキンソン病のような運動機能障害に関する疾患は,ヒトとサル類で多くの共通性が存在するケースであり,それ故にモデルには高い妥当性がみられた。しかし,ヒト固有の高次脳機能に関わる疾患の動物モデルの作成は,極めて困難となる。たとえば,統合失調症について考えてみよう。この疾患の中核症状は,幻覚妄想とされている。これを動物モデルに再現することも,また仮に動物モデルで作成したとしても,幻覚妄想をどう検出するかについては,極めて困難な課題が存在する。ここでは,Methamphetamine などの覚醒剤反復投与による動物モデルなどが存在し,行動科学的,分子生物学的検索などが行われている。しかし,症候,病態生理の点でも,統合失調症との距離は大きいといわざるを得ない。現実には,モデルと疾患との間に類似しているほんの僅かな側面を取っ掛かりとして,研究を進めざるを得ない状況も,一応は理解はできる。

 

また,ヒト統合失調症患者に固有と考えらるいくつかの遺伝子を導入したマウス遺伝子改変モデルの行動特性を野生型と比較する研究もある。日夜,統合失調症の患者と向き合い,その治療に苦労されている医師も,実験動物による生物学的研究の重要性については深く理解されている。しかし,マウスなどのモデルを統合失調症モデルと呼ぶことに違和感を持たれるという精神科医のお話をうかがったことがある。さらに,統合失調症の病態や病因解明のための,マウスの遺伝子改変研究は重要かもしれない。しかし,疾患との大きな距離と限界については十分な把握が必要とされている。統合失調症に関わる可能性があるとされている遺伝子をマウスに導入しただけで,これを統合失調症モデルと呼ぶことは適切ではないと考えている。せめて,統合失調症遺伝子導入モデルと呼んで欲しい。

 

4.  疾患・動物モデルを用いた

テスト測定の基準

 

作成した疾患モデル動物を用いて,疾患のどのような側面を測定するかは,極めて重要なポイントとなる。せっかく妥当性の高い疾患モデルを作成し,利用しても,測定方法で的を外しては,よい実験結果は得られない。それゆえ,下記のポイントについて,一つずつチェックしておくことが重要と考えている。

 

4.1.  テスト測定指標データの妥当性

疾患妥当性の高いモデルを作成したのだから,測定についても,それに呼応した適切な測定法と指標の設定が必要である。作成されたモデルの表現している症候,病理,病因のいずれかを受けて,それに密接な関連を持つ測定指標の利用によって,研究目的に適った意味あるデータを得たい。

 

サル類のMPTP投与パーキンソン病モデルでは,症候,病理の点で,モデルの特性として,すぐれた疾患妥当性があることはすでに述べた。その上で,自発運動量 (spontaneous motor activity or locomotion) 測定や肉眼的症候観察などの行動解析により,パーキンソン病様固有の運動障害を検出できている。また,このモデル動物の脳に関しても,Positron Emission Tomography (PET) / Magnetic Resonance Imaging (MRI) などの in vivo 測定と Tyrosine hydroxilase (TH) などに関する病理組織学的検索により,ドーパミン神経変性が in vitro 測定でも明確に検出されている。

 

参照 WEB サイト

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4.2.  テスト測定データの客観性/定量

測定指標の客観性は,科学的観察の基本となる。MPTPによるマーモセットのパーキンソン病モデル実験においては,マーモセットの飼育ケージ内の自発運動量をセンサーで感知し,定量化した。これはパーキンソン病様症候の最も重要な一つである 無動 (immobility) の客観的定量的指標として,薬物の治療効果検出においても極めて鋭敏で有用なものとなった。ただし,この研究では,この指標の他に,実験者の肉眼によるマーモセットの症候観察も実施した。ここでは,実験者の主観ができるだけ入り込む余地のない観察項目をくみたてた。すなわち,特定観察項目の有無について,存在したか存在しなかったかのみを,1  あるいは 0 で,観察者が記録した。そこで,いくつかの項目の合計得点を得た (CIEA Dysfunction Score)。これにより,自発運動量の測定のみでは十分ではないマーモセットの症候の全体像も定量的に補完した。

 

4.3.  テスト測定データの信頼性/再現性

測定データの信頼性については,安定したモデルにより,十分な動物数を利用して,得られたデータのばらつきが小さいことが条件となる。ばらつきは,実験で得た標本値のばらつきとしての標準偏差 (Standard Deviation: SD) を使用するのが適切と考えている。標準誤差 (Standard Error of Mean: SEM) も用いられるが,こちらは,標準偏差を使用動物数 (n) の平方根で割った値 ( SD/√n ) であり,ばらつきを少なくみせることができる。しかし,この標準誤差は,母集団における各標本の平均値のばらつきを意味している。つまり同じ条件での実験を,たとえば多くの施設で実施したとして,それぞれの施設での平均値の分布について記載している。その意味では,1施設内での1実験で得られたデータの分布のばらつきは,SEM ではなくSD で表すのが適切と考えている。様々な施設から同じ実験条件で得られた多数の平均値を集めた分布である SEMを利用するのは,少し違うのではないかと考えている。SD か SEM のどちらなのかが定義されていれば,それでよいではないかという考えもあろう。しかし,それぞれのばらつきの正負単位は分布上の確率と理論的にはリンクしいて,SD と SEM では,ばらつきの示す意味が異なると思う。著者は統計学の専門家ではないので,もし違っていればご教示願いたい。

 

また,再現性の方は,同じ研究者が実験を繰り返し実施しても,あるいは他の施設の研究者が同一条件で実験を実施しても,同様の実験結果が得られることを意味している。ある特殊な名人芸的な技量を持つ研究者の研究結果というのでは,再現性の証明が特に必要となろう。

 

4.4.  テスト測定データの臨床予測性/有効性

得られたデータに,客観性/定量生,信頼性/再現性 があっても,そのデータに臨床予測性あるいは臨床上の意味(有効性)がなければ,何のための研究かということになる。MPTP処置サル類パーキンソン病モデルによる前臨床医学薬効評価については,疾患の治療薬としての予測性/有効性が極めて高い。その理由として,MPTP が,黒質線条体ドーパミン神経を破壊することと,サル類とヒトとの間の四肢を含む運動機能に共通性が存在し,それらに変性がみられ,障害された場合には,パーキンソン病の疾患病理と症候の点で極めて類似していることが挙げられる。

 

もう一つの例として,アカゲザルを用いた薬物静脈内自己投与法についても述べる。この方法は,ヒトで依存を形成する薬物(依存性薬物/乱用薬物)に対する極めて鋭敏な予測性を示してきた。さらに,この方法により,ヒトで精神依存性を発現させる薬物のほとんどを,サルもレバー押し行動により自発摂取し,依存の状態にまで持っていけることが証明されている。薬物自己投与法により,薬物による精神依存の行動的側面としての薬物探索行動が実験動物にも形成されることが示された意義は極めて大きい。また,アカゲザルの薬物自己投与法は,ヒトでの新規化合物の依存性の有無を予測できるすぐれた方法ともいえる。

 

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4.5.  病態に関するマクロ/ミクロ視点のバランス配慮のテスト測定実施

薬物依存における精神依存を研究する上で,実験動物の薬物自己投与行動を用いた実験が行われる。これは,薬物依存に関する薬物探索行動としての行動的症候をマクロレベルでとらえたものといえる。この時の脳内の薬物依存による機序変化は,分子生物学的レベルで詳細に解明し得るであろう。しかし,これまでみかけた研究には,依存性薬物について,実際の薬物自己投与実験とはかけ離れた薬物用量を実験動物に強制反復投与して,その脳内の詳細な分子生物学的解析結果を薬物依存と結びつけたものをみかけた。依存性薬物には,その薬物の一般薬理作用とは別に,依存を引き起こす作用が存在していると思う。両者を混ぜこぜにしたミクロレベルの解析では,マクロレベルである薬物依存の本質と解離する場合があると思う。ここでは,薬物探索行動の条件を念頭において,一般薬理作用と薬物依存作用の部分を分離したマクロとミクロの統合的解析が必要と思う。

 

4.6.  モデル作成とテスト測定に関する実行可能性

実験動物を用いてモデルを作成する場合には,現実的に研究室で実現可能でなければならない。神経毒MPTPを用いたパーキンソン病モデルの実験では,MPTP をしっかり管理できる体制を整える必要がある。そうでなければ,実験担当者の安全を確保できない。また,薬物の精神依存性を評価するベストな方法は,アカゲザルの薬物自己投与法であるが,大型のサル類をしっかり管理する体制が施設にあることが前提となる。

 

現在実施されている上記の研究も,最初から全てがそろった状態でスタートしたわけではない。研究の目的とその実施についての強い動機づけに支えられて,1からスタートし,少しずつ整備していったと思う。先の例でいうと,最初は,安全性を考えて,神経毒は MPTP ではなく,脳内投与による 6-hydroxydopamine などからスタートしても良いであろう。また,薬物自己投与実験は,アカゲザルの施設がなければ,ラットやマーモセットなどからスタートをしてもよいと思う。

 

結局,モデル作成とテスト測定実施の実行可能性は,これらを実施することの意義についての研究者の明確な研究課題への認識と強い動機付けと現実的状況(リソース:専門家,人材,施設,時間,研究費など)との折り合いの問題となってくる。