神経行動解析研究 トピックス

 

本ブログは,WEBサイト 神経行動解析リンクス (Neurobehavioral Links)

https://sites.google.com/view/behavior100/

の内容に基づいています。

 

神経行動解析学を学んだシカゴ大学

話題を糸口としたメモランダム

 

The University of Chicago: ドーパミン神経行動解析研究の著者の基盤は,留学先のこの大学の研究室  (Department of Pharmacology & Physiological Sciences AND Department of Psychiatry at Pritzker School of Medicine in the University of Chicago) で構築させてもらった(著者撮影)。

 

伝統あるレンガ作りの校舎建物には,蔦(つた:ivy)が生えている。しかし,この大学は ivy league には所属していない。同 league は,米国北東部にある Brown, Columbia, Cornell, Dartmouth, Harvard, Pennsylvania, Princeton, Yale の 8 大学で構成するカレッジスポーツ連盟の名称として知られている。

 

しかしながら,The University of Chicago は,世界的な高等教育評価機関 QS (Quacquarelli Symonds) の優秀大学ランキングで,MIT, Cambridge, Stanford, Oxford, Harvard などと同様に,常に10位以内に入っていた。ちなみに,アジアでは中国やシンガポールなどの大学もどんどん力をつけてきており,これらの大学は,いずれ 10位以内に食い込んでくると思う。実際,2024年版の QS ランキングでは,National University of Shingpole が 8位となった。そのほかには,The University of California, Berkley が,あらたに 10位となり,そのために  The University of Chicago は 11位となった。

 

上記の評価は,大学の役割について多面的側面から総合的に毎年実施している。その評価基準は,学術関係者からの評判(評価の中で占める割合:40%),雇用者からの評判(同:10%),教員1人当たりの論文被引用数(同:20%),学生1人当たりの教員比率(同:20%),外国人教員比率(同:5%)などであった。2024年版からは,新たに Sustainability (組織の持続可能性),雇用成果,国際研究ネットワークという指標が導入追加された。 QSランキングは,このように多面的基準によるため,その時々の各大学の順位は固定したものではなく,毎年激しく入れ替わっている。トップ好きの日本人は,何故か  Harvard 大学が大好きである。しかし,同大学が,QS指標でトップというわけでもない。

 

自分が大学を選ぶときなどに,このような基準は参考になるかもしれない。しかし,このような一般的基準の大学ランクへの極度なこだわりは,無意味と思う。大学入学の段階などでは,それぞれの大学の特徴を調べ,それらのうちのどれが,自分の能力と興味に合い,自身の可能性を伸ばせるかということこそが重要であろう。レッテルやラベルを自身に貼り付けるために利用しても,当座の自己満足はあっても,自身の将来の発展につながるとは限らない。なお,様々な価値基準は,それが世間で,認知され,重視され,権威を持ち始めた瞬間から,その基準は,仮想空間の中で一人歩きし,価値を失い始めると考えている。

 

わが国の大学にも眼を向けてみよう。良い大学に入学するには,合格難易度が高くなるのはどこでも同じである。しかし,入学試験偏差値ベースの難易度に焦点を置き,これを固定的かつ過剰に評価し続ける社会風土にあっては,国際的にみた優れた大学評価ランクの上昇はたやすくはないかもしれない。もっとも,このような評価は,さすがに見直されつつあり,また,そうしなければ世界から置き去りにされてしまう。また,大学に巨額な国の資金を投入するだけでも進展はみられない。そこには,教育と研究システムの改革とそれによる個人の行動変容をどれだけ実現できるかという課題が存在する。ここでの個人の行動変容は受験教育のみで培われるものではなく,自身の興味をとことん追求開発し,ゴールに向けた強い実践力によると考えている。米国では,他人の批判をものともせず,自分の研究遂行に信念を持ち,問題を徹底的に掘り下げてゆく研究者を多数みてきた。潤沢な資金を投入した立派なお膳立てを作って,どうぞここで研究を好きなようにおやりくださいという環境を単に実現してみても,優れた研究は出てこないと思う。大学や研究機関においては,重要な研究課題を探り当て,研究の計画立案,研究の進め方,信頼性のあるデータの記録とその保管,そして最後に論文としてまとめ切る技術の徹底した教育が必要であろう。自力でそれを習得できるなら,それに越したことはない。しかし,日本人の研究者の国際誌での論文の勢いが衰えてきているという批判については,以上の点を十分に考える必要があろう。もちろん,大学にはいくつかの役割と機能があり,研究さえよければというものでもない。教育が充実しており,多くの有用な人材を社会に輩出することも重要であろう。

 

それゆえに,大学の評価には,やはり多面的な基準が必要と思う。わが国の大学評価についての入学試験合格偏差値重視の流れは,受験者を取り込むために激しい競争をしている予備校ビジネスの戦略にリンクした構造もあると考えている。YoutubeSNS で, ”学歴厨” などで表現される学歴偏重主義を過剰に煽る多数の投稿をみていると,それを感じる。しかし,それ以前に,周囲を海に囲まれた歴史ある単一民族の日本人の心の中には,すべてを一次元の価値尺度に当てはめて,ものごとに順位をつけないと気が済まない性癖が存在しているようにも思う。そこには,現実世界の価値は多次元尺度上にあることが忘れ去られている。米国社会などでは,宗教も文化も社会的価値観もまったく異なる背景をもった人々が,英語という共通語で辛うじてつながっており,一次元の価値尺度成立は,日本ほど有効ではないと考えている。

 

ただし,入学時偏差値そのものが一次元とは言っても,そこには数種類の教科に関する多面的な能力と尋常ならざる努力の成果が結実された場合がある。この場合,この値が高いことには,潜在能力としての大きな価値が存在していると思う。その能力を与えられた人材には,権威主義から解き離れた広い視野をもって,研究,教育,医療,ビジネス,行政,司法などの分野で十二分にその力を発揮し,社会的に大きな貢献をし続けてもらいたいと願っている。

 

よい日本酒とは,長い時間をかけてじっくりと造り上げた結果としての酒そのものの味わいと品質である。酒造りの入口の素材選定段階で,どれほど高いハードルを設け,希少性の高い高級な米を材料として選別し,使用したかについて,いつまでも強調し,誇示し続けてみてもはじまらない。もちろん,よい酒造りには,それに適した素材としてのよい米が重要なことは言を俟たない。また,なにがよい酒であるかをきっちりと識別できるひとびとの存在と,それを判定する明確な基準の存在が重要である。

 

ところで,日本酒は,国外にも随分と愛好者が増えてはいるが,世界規模で見るとまだまだローカル的存在と思う。その点,ウイスキーやワインなどは,歴史と伝統の中で醸成され,愛好者は世界に多数存在している。また,酒をのまなくても,楽しく充実した世界はいくらでも存在する。ここでは,世界には様々な価値観が存在し,われわれは多次元尺度の価値世界に生きていることを述べたいだけである。一方,このような価値尺度などからは,ときはなたれた世界や,そのようなものとは最初から無縁の世界も,この世には多く存在していることも事実であろう。